「たかりゃん、折り入ってお願いがあるのだ」
「はぁ……」
 その世にも珍しい事態を前にし、まるで象が空を飛ぶところを目の当たりにしたような驚きに襲われた俺の思考は一瞬凍りつき、無意識に気の抜けた声が漏れた。


 四月の少年少女


 春休みも半ばに差し掛かったある日のことだった。
 突然家に押しかけて来たまーりゃん先輩が珍しく真面目な面持ちで向かいのソファに腰掛けている。
 珍しいのはそれだけではなかった。
 果たして今度は一体何を企んでいるんだろうと身構えていたというのに、なにやらまーりゃん先輩の口から出てくるはずのない言葉が飛び出てきた気がする。
「……え、今お願いって言いました?」
 折り入ってお願いがある。
 俺の耳が確かなら、今しがたまーりゃん先輩はそう言ったはずだ。
 お願い。
 たっぷりと数秒間頭の中で反芻したその言葉。
 聞き間違いか何かではないのかとしか思えない、目の前の人物とはミスマッチな組み合わせ。
 何でもかんでも有耶無耶のうちに周囲の人間を巻き込んで暴走するまーりゃん先輩には縁がない単語のはず。
「たかりゃんの耳は飾りか。それともなんだっ、詰め物でもしてるのか!? よーし、それならかもーん、このラブリーまーりゃんがたっぷり優しく耳掃除してあげよう」
 まーりゃん先輩はわずかに纏っていた真面目な雰囲気を霧散させ、いつもの破天荒な調子に戻って自分の膝をぽんぽんと叩く。
 良かった、病気とか調子が悪いとかそういうことではなさそうだ。
 ということは、本当に何か困ったことがあって協力を求めにきているのか?
「ほれ、どうしたたかりゃん。休日の昼下がりの恋人のようにねっとりと穴をほじくってやるぞ?」
「いや、結構ですんで」
 下手すると右耳と左耳を繋げられそうだ。
「あたしの膝の上はたかりゃんの指定席だから、恋しくなったら遠慮なく甘えておいで」
「しなを作らんでください」
 思わず頭を抑える。
 この人は俺を困らせて楽しんでいるんじゃないかと時々思うが、最近ではそれがあながち間違いじゃないような気がして怖い。
「で、お願いってなんですか?」
「…………」
 さっさと用件を聞いてしまおうと話を促した途端、ふざけた表情が消える。
 どこか真剣味を帯びた面持ちのまーりゃん先輩を前にし、自然と俺も身構える。
 あのおふざけのかたまりのまーりゃん先輩がこんな顔をするとは、一体どんな話なんだろうか。
「実は……」
 まーりゃん先輩がゆっくりと口を開く。
 雰囲気に呑まれ、ごくりと喉が鳴った。
「たかりゃん」
「はい」
 真っ直ぐな眼差しを受け、俺も姿勢を正す。
 そして次にまーりゃん先輩から出た言葉は。
「あたしと結婚しておくれ」
「…………」
 例えるならば、風船に空気を入れ続け、もう限界だというギリギリの緊張感の中、間違って風船の口を緩めてしまったような。
 そんな間の抜けた空気の抜け方をした気分だった。
「ずっと前からたかりゃん一筋で、もうあたしの体はたかりゃんじゃないと満足できない体になっちゃったんだよぅ」
 一体何のつもりなんだこの人は。
 ふと、まーりゃん先輩のはるか後方、壁にかかるカレンダーが目に入る。
 三月の日付を記してあるそれは、確か今日を持って新しいページをめくらないといけなかったはずだ。
 ああ、なるほど。
「四月バカですか」
「なにおぅ!? このたかりゃんめ、バカって言う方がバカなんだぞー! なんだよなんだよ、ちょっと勉強できるからっていい気になるなぁ」
「いえ、そうじゃなくって、エイプリルフールなんだなって」
 まーりゃん先輩、もしかしなくてもバカなのかもしれない。
「なにっ、もしかしてもうバレた?」
「申し訳ないことにすっかりと」
「ちっ、つまらん」
 まーりゃん先輩はぷーと頬を膨らませると、さっきまでの真面目な仮面を投げ捨て、ばふっとソファに身を投げ出す。
「でも今のはかなーりいいセンいってたと思わんかね。たかりゃんもエイプリルフールって気付かなければ思わず胸ドキドキで夫婦宣言しちゃう寸前だったってくらいに」
「いや、多分エイプリルフールに関わらず端から疑ってかかってました」
「えー、うそうそうそー。騙されてくんないとやだやだやだー」
「ちょっといきなり駄々っ子にならないでください」
 不自然に天井を見上げながら、まーりゃん先輩を嗜める。
 じたばたとソファの上でもがくせいで、スカートの中身が今にも見えそうだったりして気が気じゃない。
「……帰る」
 静かになったと思ったら、突然ポツリと呟き声。
 見てみると、まーりゃん先輩がとぼとぼとドアに向かっていく。
「はぁ」
 なんと言えばいいのかわからず、適当に相槌を打ってそれを見送る。
 しかし、まーりゃん先輩はドアのノブに手をかけるとぴたりと止まる。
 何か忘れ物でもしたんだろうか。
 ぼけっと眺めていると、まーりゃん先輩はちらちらと様子を窺うようにして視線を送ってくる。
「……?」
 ぶんぶんと笑顔で手を振ってみる。
 次の瞬間、まーりゃん先輩は突然こちらに向かって駆け出していた。
 そしてソファを足場に空高くジャンプすると。
「まーりゃんキィーーーック!!」
 まーりゃん先輩が降って来た。


「お、目が覚めたかたかりゃん」
 視界に最初に飛び込んできたのはまーりゃん先輩の顔だった。
 続いて、自分が寝転がっていることに気が付いた。
「あれ、俺なんで寝てるんだっけ……いつつ」
 体を起こすと痛みが走る。
 何があったか思い出してみようとするが、記憶は霞みがかったように……と言う表現では大人しいか。
 言うなれば強力な妨害電波でも発せられているみたいに、頭の中には真夜中のテレビよろしく砂嵐が発生している。
 でもその砂嵐、妙にカラフルな縞々だ。
「んー?」
 座ったまま腕を組み、首を捻る。
 しかしやはりよく思い出せない。
 まあ、思い出せないってことは大したことじゃないということだろう。
「たかりゃん、そんな貧弱なようじゃさーりゃんは任せられないぞ。もっと鍛えたまえ」
「はぁ……」
 なんで叱責を食らってるのかもよくわからないけど、とりあえず頷いておく。
 というか、なんでこの人がさも当然のように家にいるんだろうか。
「だいたいだね、愛しの先輩が意気消沈して帰ると言ってるんだから、もうちょっとさーりゃんのときみたく足に縋り付いて引き止めるくらいしたって罰は当たらんぞ?」
「いや、そんなことしたことないですけど」
「汝先輩を愛せ」
 それを言うなら隣人じゃ。
「さて、それじゃあたかりゃんも復活したことだし、さっそく行こう」
「行くって……どこへですか?」
「さーりゃんとこ」
「は?」
 何がどうなって久寿川先輩のとこへ行くって話になったんだろうか。
 俺の記憶が欠落している部分でそういう話が出ていたとか?
 どっちにしろ、説明してもらうしかない。
「質問です」
「うむ、たかりゃんくん」
 挙手してみると、まーりゃん先輩も乗り気で指名してくれる。
 根本的に扱いにくい人のくせに、変なとこばっかり扱いやすいのもどうだろうか。
 それはともかく。
「なんでまた先輩のところへ行くんでしょうか」
「うむ、いい質問だたかりゃん二等兵」
 なぜいきなり軍人階級。
 と、この人に横槍を入れたところで話は進まないので大人しく耳を傾けることにする。
「今回君には重要任務を与える」
「重要任務?」
「今日は何月何日か言ってみたまえ」
 びしっとまーりゃん先輩に指を差され、部屋の中に視線を巡らせる。
「えーと、三月……あ、いや、今日から四月か」
「いえーす。四月一日といえば何かね、たかりゃん曹長」
 いきなり昇進しすぎだった。
 まーりゃん先輩の中では俺は何回殉職したんだろうか。
「ほら、答えてみ?」
「四月一日は衣替えで服の綿を抜くからわたぬきでしたっけ?」
「えっ、そなの?」
 まーりゃん先輩、すっげぇびっくり顔。
「ええ、確か。俺も何かで読み齧った程度の知識ですけど」
「たかりゃん物知りだね……ってそうじゃなーい! ええい、この極悪たかりゃんめ。あたしが知らないと思ってわざと難しいこと言っただろ。ああ、知らなかったさ。そんなこと初耳だったさこのやろー。どうだっ、これで満足か!?」
 そこまで大層なことを狙っていたわけではないのだが、あえて違うことを言ってみたのは正解だ。
 まーりゃん先輩の求める答えは見当はついていたけど、流されるばかりというのも釈然としないからな。
「今度わざと間違ったらキスするぞ。一生記憶に残るようなとびっきり濃厚なヤツ」
「エイプリルフールですっ」
 まーりゃん先輩の言葉に一も二もなく回答する。
 なんておっそろしい脅迫をする人だ。
「うむ、正解なのだ。えらいぞたかりゃん、やればできるじゃないか。それじゃあご褒美のキスを」
「結構です」
 反射的にさっと手を突き出す。
 手のひらに感じるむちゅっとした温かさが、危ういところだったことを告げている。
「たかりゃんは相変わらず照れ屋だねぇ」
「照れてないですから。あと早く離れてください」
 ぐいっと手を押し返すと、一緒になってまーりゃん先輩の頭も遠ざかる。
「で、エイプリルフールと久寿川先輩にどういう繋がりが」
「ちっちっち、鈍いねたかりゃん。もっと先の先を読まないとこの先の情報化社会を生き抜いていけないぞ」
「……まさか先輩を騙せってことですか?」
「うむ。というかだね、さーりゃんに告れ」
「…………」
「こらこらこらっ、無言で人のおでこに手を当てるんじゃない」
「いやだって」
 あまりに突拍子の無い発言だったものだからつい。
 しかし熱があるというわけではないようだ。
 だとしたら寝ぼけているか酔っ払っているか……ああいや、この人の限っては素の可能性が一番高いんだったか。
 なんという困ったちゃん。
「どうせ熱を測るならおでことおでこをこつんとするくらいのピンク演出をしてほしいものだね」
「ピンクなのは先輩の頭だけで十分ですよ」
「たかりゃんたかりゃん、そんなゆっくりしてていいのかえ?」
「俺には関係ないですから」
 勢いに任せてソファに座り込んでやる。
 そんなことするものかと言外に滲ませ、断固たる拒絶の意思を示してやるのだ。
「でもそしたらまたさーりゃんに待ちぼうけ食らわせることになっちゃうぞ」
「もう呼び出し済みだったのかよ!」
 が、そんな目論見はものの数秒で打ち砕かれた。
 敗因はことくだらないことに関しては異様なまでの手際の良さを発揮するこのちんちくりんの先輩のスペックを見くびっていたことだろう。
「明日の生徒会を担う二人の絆を固めようと言う先輩からの気遣いじゃないか。ありがたく受け取っとけ。いいじゃんいいじゃん、年に一度のおふざけなんだし、ちょっとくらいノリがよくなったって罰は当たらんぞ」
「まーりゃん先輩に限っては年中おふざけって気もしますが」
「一緒にさーりゃんのびっくりした顔拝もうじゃないか」
「それにしたって悪趣味じゃないですか。いくらエイプリルフールだからってそんな嘘はつけませんよ」
「え、じゃあマジ告白?」
「告白しないんですっ」
 まーりゃん先輩はまるですっぽんのように一度食いついたら離れようとしない。
 何にせよ、久寿川先輩を既に呼び出しているというのなら待たせるわけには行かない。
 不承不承上着を羽織り、財布をポケットにつっこんで出かける準備をする。
「いいのかなぁ。さーりゃんも期待してるかもしれないんだぞ? 乙女心を踏みにじるなんて、たかりゃん悪漢!」
「あーもう。ダメッたらダメ!」
「でもあたしは去年もっとすんごい嘘ついたけど、さーりゃん笑って許してくれたよ。むしろそれをきっかけに絆が深まったといっても過言じゃない」
「…………」
 不覚にも後半のフレーズに心が揺らいでしまう。
 そんな俺の心を知ってか知らずか、まーりゃん先輩はさらに言葉を続け、俺の決意を揺さぶりにかかる。
「あたしの余命はあと一週間だと聞いたさーりゃんったら、それはもう献身的に尽くしてくれたものよ」
「すっげぇ性質の悪い嘘付きましたね」
 そして信じる先輩もすごい。
「丸一日フルに我がまま聞いてもらった後で実は嘘でしたーってネタバラししたら、さーりゃんどうしたと思う? 涙目で良かった良かったって笑ってたんだよ。いやぁ、もし男だったらほっとかなかったねあれは。写真撮っとけばよかった」
 気付けば、玄関に向かおうとしていた足は止まり、まーりゃん先輩の話に耳を傾けてしまう俺がいた。
 まーりゃん先輩はにんまりと笑いながら、すすすっと音もなく擦り寄ってくると。
「きっと、それ以上に可愛いさーりゃんが拝めると思うんだけどなぁ」
 とどめの一言を発したのだった。

 

「お待たせ、河野さん」
「いえ、俺も今来たとこですから」
 駅前で待つこと五分強、待ち人がやってくる。
 まーりゃん先輩にしては珍しく即時呼び出しではなく待ち合わせ時間を取り決めていたらしく、おかげで先輩を待たせずに済んだ。
「えっと、とりあえずどこか入りましょうか」
 すぐ近くのヤックを指差し、あそこでいいかと反応を窺ってみる。
 先輩も特に異存はないようで、こくりと小さく頷いてくれた。
 二人連れ立って店に入り、飲み物だけ頼んで席に着く。
 ストローを差し、一口だけ飲んで口の中と喉に十分な潤いを。
 ……嘘の滑りを良くするためだと思うと、炭酸の刺激ばかりが責めるように舌に残る。
「やっぱり河野さんはすごいわ。私はやっぱりコーラは飲めないもの」
「え、いや、これくらいどうってことないですよ」
 純粋に尊敬の眼差しを向けられ、照れくささと同時に罪悪感がこみ上げてくる。
 ああ、俺は今からこんないい人を騙そうとしているのか。
 やっぱりやめたほうが……内心躊躇する俺の視界に、窓枠からそっと顔を覗かせるまーりゃん先輩の姿が。
 俺と目が合うと、鷹揚に頷きゴーサイン。
 ……ごめんなさい、久寿川先輩。
 今からあなたを謀ってしまいます。
 まーりゃん先輩の囁く甘い言葉に膝を折ってしまった俺を許してください。
「あの」
「ごめんなさい河野さん。じ、実は河野さんにお話があるの」
「えっ」
 意を決して口を開くと同時、先輩の言葉が俺の声に被さった。
「大切なお話があるの」
「あ、はい」
 先輩の嘘をつくのを申しわけなく思う罪悪感。
 罪を犯す瞬間が先延ばしになったことに内心ホッとしてしまう自分がいた。
 皮肉にも、そのとき感じた安堵こそが雄弁に語っている。
 まーりゃん先輩の甘言に乗せられて先輩を騙すなんて、どう考えたってダメに決まってる、と。
 自覚してしまえばあとは簡単な話だった。
 心苦しく思うくらいなら嘘なんか付かなければいいだけの話だから。
 先輩の前にいるときは後ろめたくない俺でいたい。
 途端にふっと視界が開けたような、圧し掛かっていた重荷が消え去ったように心が軽くなる。
 するとどうだろう。
「河野さん、一つだけ聞いてもいいかしら……?」
「はい、どうぞ」
 後ろ暗い企みを捨て去ったせいか、先ほどまで言葉を交わすたびに胸を刺すちくちくとした痛みも今はもうない。
 いつも通り、いや、いつも以上に滑らかに話すことが出来ているんじゃないだろうか。
 きっと今の俺は、満面の笑顔で先輩の話を聞いている。
「河野さんは……私のことをどう思ってる?」
 この一言を聞くまでは、確かにそうだったはずだ。
 だが。
「…………え」
 きっと今の俺は、満面の笑顔で固まっている。
 一秒。
 五秒。
 十秒が過ぎる。
「……尊敬できる先輩です」
 辛うじて、定型文のような答えだけを搾り出す。
 笑顔が固まってくれていたおかげで表情を取り繕う手間が省けたのは幸いだった。
 きっと今の俺、一から笑顔を作るのは出来なかったと思うから。
 質問に込められた意味を深読みしてしまいそうになる浅はかな自分と、それを諌める冷静な自分。
 もしかしたら、でもそんなはずは……。
 裏の裏のそのまた裏と、キリなく何度も裏返る。
 内心慌てふためく今の俺にこれ以上の対応を求めるのは酷な話だ。
 こうして表面上だけでも平静を保てただけでも偉業といえよう。
「あ、ありがとう。河野さんにそう思ってもらえるなんてすごく嬉しいわ……」
 先輩もまた動揺に社交辞令じみた……それでも本心からとわかる言葉で返してくれる。
 のだが、なぜか言葉とは裏腹に、ちょっとだけ目が潤みかけていて、顔もどこか紅潮していて、まるで泣く寸前のような表情で……。
「あ、あの……先輩?」
「ごっ、ごめんなさい。私またみっともないところを見せてしまって……」
「いえいえいえっ、とんでもないですっ」
 え、やっぱ泣きそうなのこれ?
 なんで?
 疑問は次から次へと降って沸いてくるけど、それより何より久寿川先輩の零れそうな涙が気になって。
 冷静さを投げ捨ててしまった思考回路は、ほんの少しだけ都合のいい考えに浸されそうになって。
 ……さっきの質問はやはりそういうことで、その涙の理由は、先輩の望む答えを返せなかったからなのでは。
 自惚れに他ならない感情がじわりじわりと広がっていく。
 そんなわけない、でももしかして。
 裏返って、また裏返って。
「河野さん、ごめんなさい」
「え、な、何がですか?」
 涙目の先輩から、突然の謝罪。
 でも俺には謝られる覚えはまったくなく、戸惑うしかない。
 先輩はきゅっと唇を噛み締めると、蚊の羽音にさえ掻き消されてしまうんじゃないかというほど小さな声で。
「ごめんなさい、す、好きです。河野さん」
 もう一度だけ謝ると、続けてそう言ったのだった。
「……………………」
 ぐしゃっと、思わず手の中の紙コップを握り締める。
 紙コップは無残にもひしゃげ、まだ残っていたコーラがあふれ出してトレイの上に広がっていく。
 声も出なかった。
 時間が止まると言うのはこういうことをいうのかもしれない。
 本当に、自分の精神だけが別の次元に飛ばされたような感覚。
 確か今日は俺が先輩に嘘の告白をしちゃえって話じゃなかったのか。
 それがなんで、先輩から告白されているんだろう。
 まーりゃん先輩の誘惑を振り切り義を貫いた俺へのご褒美?
 焦点の合わない目を先輩に向ける……のだが、幸か不幸か、その先の窓の外にもう一人別の先輩の姿を捉えてしまう。
 なぜか、笑いを堪え切れずに今にも吹きだしそうな顔。
 そこにきてようやくピンと来た。
「……あっ」
 エイプリルフール。
 まーりゃん先輩の煽動。
 ずっと申し訳なさそうにしていた久寿川先輩。 
 ありえない爆弾発言。
 そのすべてが繋がった。
「やられた……」

 

「ごめんなさい河野さん」
「謝らなくていいですよ。久寿川先輩も被害者なんですから」
 ぎろりと、久寿川先輩も隣でちゅーちゅーとシェイクを吸っているちんまいのを睨みつける。
 首根っこ引っ掴んできて洗いざらい白状させたというのに、本人には微塵も反省の色が見られないのがすごい。
 結論から言えば、俺の予想は大当たり。
「ほんっと、性質が悪いですよ」
 ネタを明かせば、久寿川先輩を騙そうという提案それ自体がまずは嘘。
 本当のターゲットは俺で、騙す側に立っているつもりで油断しているところをカウンターで陥れるという悪質極まりない企みだったのだ。
 先輩のあの涙は多分、俺が先輩に感じたものと同じ良心の呵責の表れだったんだろう。
 こうして話を聞く限りではそんな単純な手に誰がと思うほど下らないのに、いざ実際当事者になるとこれが存外見破れない。
「いやぁ、たかりゃんの鋭さは予想外だったね。まさかこんなすぐ気付かれちゃうとは」
「まーりゃん先輩がバカ面下げて笑ってくれてたおかげです。どうもありがとうございました」
 ああもう、本当に危なかった。
 雰囲気に流されて何か口走っていればちょっと取り返しの付かないことになっていた気がするぞこれは。
 その時のことを思い浮かべ、もう一度鋭い視線をまーりゃん先輩に叩きつけてやる。
「お、なんだなんだ、目で口説き落とそうってか。たかりゃんのくせに大人のテクを身に付けてるじゃない」
 ダメです、この人には全然通じません。
 結構本気で怒っていたはずが、気付けばゆるゆると感情の高ぶりが収まっていってしまう。
 ずるいよなぁ、ほんと。
「しかし、よくまあ久寿川先輩を説き伏せましたね」
 あんな真似、例えまーりゃん先輩の指令でも絶対にしそうにないのに。
「そ、それは……」
「ちっちっち、まだまだ甘いなぁたかりゃんりゃん。確かにちょこーっとばかし強引に誘ったのもあるけど、さーりゃんにはさーりゃんなりの打算があったということさ」
 言葉に詰まる久寿川先輩の代わりに、まーりゃん先輩が口を開く。
 久寿川先輩はそれを否定するでもなく、ただただ赤くなって縮こまってしまう。
「打算?」
「そそ。まるきりさーりゃんに悪いことばかりじゃなかったの」
 私欲とは縁遠い久寿川先輩が?
 そんなまさかと首を捻る。
「……俺を騙すとわらしべ長者みたいに紆余曲折を経てカエル用の池が手に入るとか?」
「えっ、カエル池、作ってもいいの?」
「いえ、ダメですけど」
「……ダメ?」
「ダメです」
「…………ダメ?」
「ダメです」
「………………ダ」
「ダメです」
「……イジワル」
 先輩の反応を見る限り、そういう直接的な利益ではないようだ。
 だとしたら何が?
 考え込む俺の耳元にまーりゃん先輩がそっと口を寄せて囁いた。
「悩める青少年に救いの手を差し伸べてやろう。あたしとしては、ぶっちゃけ今日のドッキリ企画は嘘になっても本当になってもどっちでも良いかなぁって」
 まーりゃんはそうとだけ言うと、俺の肩をポンと叩いてニヤッと笑う。
 その言葉の真意をまた深読みしそうになってしまって。
「……っ」
 また嘘に決まっていると考えながらも、心のどこかで期待してしまう浅はかさ。
 何度頭の中から追い出そうとしても考えてしまう思考の無限ループ。
 一度痛い目を見ているのにまだ懲りない俺は、きっと今日と言う日に相応しい愚か者なのだろう。

 

end