それは暑さの厳しいある日の出来事。

 燦々と照る太陽の身を焦がすような日差しと、ふんだんに太陽光を吸収したアスファルトから放たれる熱気。
 上下に方向から襲い掛かってくる熱はまるで体中を這い回るかのように纏わりつき、自然と足取りも重くなる。
 これでは一歩足を踏み出すごとに流れる汗が、熱と一緒に体力まで奪っていってしまうのではないか。
「暑い……」
 そんなつもりはないのに気付けば何度も口にしているその一言が、耳の奥まで響き渡る姿なき蝉の鳴き声とあいまっていっそう体感温度を上昇させているような気さえしてくる。
 唯一の救いは手元の袋に入っているアイスの放つ気休め程度の冷気だけだが、それも果たしていつまでもつか。
 このままでは目的地に着く前に溶けきってしまう。
 こんなことならばもう少し行った先にあるコンビニで買うべきだった。
 そうしていれば、こんな風に溶けるか溶けないかのデッドラインにハラハラさせられることもなかったのに。
 一度気にしてしまった途端、袋の中身が心配でしかたがなくなってしまう。
 はぁ、せっかく買ったもんだしな……。
 自分の要領の悪さを悔やむのはいつものことだ。
 これが性分と半ば諦め、今出来る精一杯をするべく、愛佳の家へと駆け出した。


 暑い日の過ごし方


「走ってきたの?」
 家の中に迎え入れてくれた愛佳は、目の前で汗だくで肩で息をする俺に驚きを隠せないといった表情で麦茶を差し出してくれる。
 まだ呼吸が整っていない俺は、息も絶え絶えのまま手に持った袋を愛佳へと差し出した。
 愛佳もそれで苦行の理由を察してくれたらしく、申し訳なさと嬉しさの混じったような顔でありがとう、と言うと、袋を持ってぱたぱたと奥へと走っていく。
 きっと冷凍庫に入れにいってくれたんだろう、何も言わなくとも気の回る彼女に感謝しながら、グラスの中の麦茶を一気に飲み干した。
 ふぅっと一息つくと、すぐに愛佳が戻ってくる。
「上がってくれててよかったのに。さ、どうぞ。あ、お茶のお代わり、いる?」
「うん、悪いけどもらえるかな」
「はい。すぐに持ってくるから、先に部屋に行ってて」
 グラスを愛佳に渡し、お言葉に甘えて一足先に愛佳の部屋へと向かうことにする。
 そういえば、とふと思う。
 既に何度も来ているが、よく考えると一人で愛佳の部屋へ行くなんてシチュエーションは初めてだった。
「……」
 あ、ダメだ。
 ようやく女の子の部屋にいるのに慣れてきていたというのに、そんなことを意識した途端緊張がぶり返してきてしまう。
 落ち着け、別にやましいことをするわけじゃないんだ。堂々としてればいいじゃないか。
 トントンと階段を上がりながら、自分を落ち着けようと必死に言い聞かす。
 ドアの前に立ち、ノブに触れると、急に不安が押し寄せてくる。
 あれ、愛佳の部屋ってここでいいんだっけ? ここでいいんだよな?
 いつもは先導してくれる愛佳についていくだけだったため、自分でドアを開けるというのも初めてだ。
 緊張と不安で正常な思考能力が削がれてしまっているのか、いつもお邪魔している愛佳の部屋のドアが今自分の目の前にあるものに間違いないのか確信が持てない。
 恐る恐るノブを回し、ゆっくりと開きながらそっと顔を覗かせてみる。
「あ、来たんだ」
 音で気付いたのか、読んでいたらしい手元の本からひょいと顔を上げた郁乃とばっちり目が合う。
「間違えましたっ!!」
 慌てて顔を引っ込め、乱暴にドアを閉める。
 最悪だ、よりにもよって郁乃の部屋と間違えるなんて。
 あとでいったいどんな嫌味を言われることか不安を抱きながら、隣の部屋の前にとぼとぼと移動する。
 ドアを開けると、今度は無人。どうやらこっちが愛佳の部屋だったらしい。
 主のいない部屋の中におっかなびっくり入る。
 二階に上がってからの一連の行為をビデオにでも撮って鑑賞すれば、きっと俺は迷いなく映っている人間に不審者の烙印を押す。
 そんな自覚があるほどに、今の俺は挙動不審だった。
 早く来てくれと愛佳に祈りながら、ふと違和感に気付く。
「……あれ」
 愛佳の部屋……こんなんだったっけ?
 模様替えでもしたのか、部屋の中は記憶にあるものと大きく違っており、ついきょろきょろとあちこちを見渡してしまう。
「こらーーっ!」
「うわたっ!?」
 そこへ大声を張り上げて入ってきたのは、待ち焦がれていた愛佳その人ではなく、郁乃だった。
「たかあき、あんたなに人の部屋に勝手に入ってくつろごうとしてんのよ」
「い、いや、これははだな、愛佳に先に行っててって言われたからで、決して勝手に忍び込んだとかじゃなくて」
「だーかーらー」
 いつもなら果敢に立ち向かうところだが、今は緊張のせいか、はたまた先ほどの後ろめたさのせいか。
 いまいち強気に出れず、言い訳がましく事情を説明しようとする俺に、郁乃はあきれたような顔で大きくため息を一つ付くと一言。
「ここ、あたしの部屋なんだけど」
「……へっ?」

 結論から言えば、最初に入った部屋こそが愛佳の部屋に相違なかったのだ。
「ったく、本読むなら自分の部屋で読んでろよ。紛らわしいな」
「あんたが勝手に勘違いしたんでしょうが」
 一人じゃなくなったおかげで緊張の和らいだ俺は、すっかりいつもどおり郁乃と軽口の応酬をしながら郁乃の部屋を後にする。
「だいたい、ドアにちゃんとネームプレートがかかってるでしょ」
「さっきはそこまで気が回らなかったんだよ」
 だが、言われてみるとしっかりとドアに『Manaka』と丸っこい字で書かれた可愛らしいピンクのプレートがかけられている。
 これまで何度も愛佳の部屋にはやってきていたというのに、今の今までちっとも気付いていなかったのか俺。
 さっきちゃんとこれに気付いていれば、あんな失態は晒さずにすんだのに。
 幾ばくかの自己嫌悪に苛まれつつ、なんとなく郁乃の部屋のドアを見やると、そちらにも同じプレートに同じ書体で『Ikuno』と……いやまて、よく見ると郁乃のほうは名前の最後にハートマークなんかがかわいく描かれている。
「…………えーと」
 ハートマーク? あの郁乃が? ドクロじゃなくて?
 郁乃の人となりからはえらくかけ離れているセンスの気がして、どうリアクションすればいいのか困ってしまう。
 突然黙り込んだ俺を訝しく思ったらしい郁乃は、俺の視線の先にあるものに気付き、ぼっと顔を紅潮させてる。
「ちっ、ちがっ、あれは姉が勝手にっ……」
 ああ、なるほど、愛佳が勝手にお揃いで用意したのか。
 ってことはあのハートマークは姉から妹への愛情表現? 上機嫌で浮かれてプレートに名前を書き込んでいる愛佳の姿が目に浮かぶようだ。
 しっかりと使っているあたり、郁乃も律儀というかお姉ちゃんっコというか。
 案外、結構気に入ってたりして。
「あっ、あたしはイヤだって言ったのにっ」
 まだ弁明を述べている郁乃の肩をぽんぽんと優しく叩いて、俺は愛佳の部屋へと入っていった。
「〜〜っ、ちゃっ、ちゃんと聞けぇー!」
「わかってるわかってる。お姉ちゃんのお願いじゃ聞かないわけにもいかないもんな」
「その言い方、すごくムカつくわ」
 郁乃に対する数少ない必勝パターンのお姉ちゃんネタのせいだろう、郁乃も勝ち目のなさを悟ったのかそれ以上は言い返してこなかった。
 普段やり込められているだけに、すこしだけいい気分だった。
「お待たせぇ。ごめんねたかあきくん。喉渇いてるでしょ」
 開いたドアの向こうには、お盆を持ち上げた愛佳。
 お盆で両手が塞がっていたので、わざわざ一度床に置いてドアを開けたみたいだ。
 そんなことしなくたって、言ってくれればドアくらい開けたのに。
 どんなに長く付き合っていてもそういう遠慮が抜け切らないというか、自分で出来るならばやってしまおうとするところは相変わらずだ。
 恋人としては、というのも恥ずかしいが、なんにせよもう少し頼って欲しいなぁなんて思うところではある。
 もっとも、本人曰く、愛佳はこれ以上ないくらい俺に頼りっきりになってしまっている、とか言い張るのだ。
 そのことで一度郁乃に相談したら

『あんた、惚気てんの?』

 と、ものすごく冷たい眼差しで黙殺された。
「よいしょ、っと」
「あ……」
 何の気はなしに愛佳を見ていると、両手の使えない愛佳がひょいっとお尻でドアを閉めるところをばっちりと目撃してしまう。
「え、あっ……」
 どうやら愛佳も意識してやったわけじゃいのか、思わず漏れた俺の声にハッとし、自分の行動の今気付いたかのような反応を見せる。
「……えっと」
「あの、これは違うんです」
 なんて言えばいいのか困っていると、愛佳が先制していきなり否定の言葉を投げかけてくる。
「あ、あのねたかあきくん、い、いつもはこんなお行儀の悪いことしないんですよ? ほんと、ぐうぜんなんです、ぐうぜん」
「いつもは足だもんね」
「いっ、いくのぉ!」
 そうなのか。
 案外横着する子だったんだな、愛佳って。
「も、もうやだなぁ、郁乃ったら冗談がすきなんだからぁ。違うんですよたかあきくん? 今のは郁乃のジョークなんです」
 委員ちょ、敬語敬語。
 動揺してるの丸出しですよ。
「さっきのだって、……そ、そう、たまたま。たまたまね、お尻がドアに当たっちゃったんです。そうしたら、ちょうどドアが閉まっちゃっただけで……」
「いや、うん。わかってる。俺は愛佳を信じてるよ」
「……ほんとう?」
「ほんとほんと」
「うぅー、なんだかなげやり」
「そんなことないない」
 今度郁乃に、他にも俺の知らない家での愛佳について聞いてみよう。
「……今何か考えませんでした?」
「とんでもない」
 やっぱりこういうときの愛佳は鋭かった。
「そ、そんなことより、お茶ありがと。もらってもいい?」
「あ、どうぞどうぞ」
 急いで話題をそらそうとお盆の上に目をやる。
 そこには水ようかんと、氷と薄緑の液体が入った湯のみが3つずつ……ってあれ、麦茶じゃないのか。
「あ、これ? 冷たい緑茶だよ。麦茶よりもこっちのほうがお茶請けに合うかなって思ったんだけど……好きじゃなかった?」
「いや、そんなことないよ。でも面倒じゃなかった?」
 麦茶と違って、緑茶なんて普通作り置きなんてしていないだろうから、きっとわざわざ淹れてきてくれたんだろう。
「ううん、そんな大した手間じゃないから。どうぞ召し上がれ」
 愛佳の気遣いに感謝し、早速一口啜ると カランと溶けきっていない氷が、湯のみの中でちいさく音をたてる。
 続いて、水ようかんを小さなスプーンですくって口に入れる。
「……どう?」
「うん、おいしい」
 そこにお世辞など介入する余地もない、素直な感想だった。
 氷の溶けた後のことまで考え、あらかじめ濃い目に淹れていたのだろう。
 冷えた緑茶は味が薄らいでいるようなこともなくきちんと風味を残したままで、水ようかんの甘みと程よく合っていた。
「愛佳ってお茶淹れるの上手いよな。ほんと、才能だよなぁ」
「そんな……あたしはただ、たかあきくんに喜んで欲しかっただけだから……」
 恥ずかしそうな仕草でそんな風に言われたら、俺のほうもなんだか照れくさくなってしまう。。
 互いに互いの気恥ずかしさが呼び水になったみたいに、二人とも黙り込んでしまう。
「あんたらって、すぐ二人の世界作っちゃうよね」
「うおわ!?」
「ひゃうわ!?」
 あ、あぶねぇ。
 危うくいい雰囲気でキスとかしそうになるとこだった。
 今にも愛佳に向かって差し伸ばされようとしていた自分の手を見て、冷や汗が流れる。
 郁乃はぱくぱくと水ようかんを頬張りながら、ジト目で俺と愛佳を順に見比べると。
「イチャつくのもいいけど、時と場所を選んでほしいものね。それとも、そうやって二人の世界を作ってあたしに気まずい思いをさせて楽しもうって魂胆?」
 そんなわけないだろうと言い返してやりたいところだが、確かに今この瞬間郁乃の存在を忘れていただけに何も言えない。
「いっ、郁乃、水ようかんおいしい?」
「まあね」
「じゃあ、はい、お姉ちゃんのも食べていいよ」
 うわぁ、あからさまな買収行為だ。
「……ありがと」
 もらっちゃうのかよ。
 少し逡巡するように目を逸らし躊躇してはいたが、それもはかない抵抗だったようだ。
 愛佳の妹なんだなというのをこんなところで実感する。
「……俺のもいる? 食べかけだけど」
「いるかぁっ!!」
 ダメだった。


 いつものように他愛ない会話で程よく時間も経ったところで、ようやく面目躍如のチャンスがめぐってきた。
 さっきから暑そうに胸元を広げ、パタパタと手団扇で風を送っている郁乃に、そろそろ頃合だろうと話しかける。
「郁乃、何か冷たいものとか欲しくないか?」
「これだけ暑ければ誰だって欲しいと思うけど」
「そーかそーか、郁乃は冷たいものが食べたいか」
 いつものように可愛げのない切り返しも、今ばかりは気にならない。
「愛佳、悪いけどアレ持ってきてもらえるかな」
「たかあきくんが持ってきたやつ?」
「うん。もう固まってるだろうし」
「わかった。すぐ持ってくるね」
 部屋を出て行く愛佳の背を見送ると、郁乃が訝しそうに眉をひそめてたずねてくる。
「……アレって何よ」
「すぐわかる」
 言わずもがな、今日来る途中に買ってきたアイスだ。
 たかがアイスと言うなかれ、こう暑いとアイスなんかでもものすごくありがたく思えるもんなんだ。
 しかも、きちんと郁乃の分まで数に入れて買ってくるこの優しさ。
 いつもは子憎たらし郁乃も俺の気遣いに思わず感動、これぞ貴明おにいちゃん好き好き大好き大作戦だ。
 ……やべ、俺もしかしてタマ姉に感化されてる?
 まあ、俺が遊びに来るときはたいてい郁乃がいるから、何か買ったりするとき郁乃も勘定に入れるのが当たり前になってたというのは本当のところだ。
「そういえば郁乃は友達と遊びにいったりってしないのか?」
 少なくとも、俺は郁乃がそういうことをしているのを見たことがない。
 もしかしてまだ学校になじめていないのかとか、保護者よろしく少し不安に思ってしまう。
「そんなことないわよ。遠出はしないけど、繁華街に行ったりすることくらいある」
「それならいいんだけど……。でもお前、俺が来るといつも家に居るからさ」
「……あんたっていつもウチに来るときは、あらかじめ姉と話してるでしょ」
「まあな、いきなり来るなんてのはさすがに迷惑だろうし」
 愛佳の家にお邪魔するときは、たいてい前もって決めてから行くようにしている。
「でもそれがどうかしたのか?」
「……別にわかんないならそれでいいわよ」
 ぼそっと呟くと、郁乃はぷいっとそっぽを向いてしまう。
 ……もしかして、友達いない扱いしたのが気に障ったんだろうか。
 確かにいい気分はしないだろうが、でも一応郁乃を心配して聞いたことだったのに。
「いや、別に悪気はなかったんだぞ? ただ郁乃がちゃんとクラスでやってるのか心配でだな」
 一応釈明してしまうあたり、俺ってホント弱い。
「何の話してるのよ」
「いや、だから郁乃は友達がいないのかなぁなんて思ったことを謝罪してるんだが……」
「あんた、そこまで失礼なこと思ってたわけ」
「あっ。違うぞ、今のは言葉のあやで……ごめん」
 結局謝ってしまう。
 まあ、確かに失礼なのは俺のほうだったしな
「いいわよ、確かにあんたが来るときはいつも家に居るし。……言っとくけど、本当に遊びに行ったりするくらいしてるんだからね。たんにあんたが来ないときに行ってるだけなんだから」
「い、いや、別に疑ってるわけじゃ……って、あれ?」
 なんか今の言い方だと、まるで俺が来るときには家にいるようにしてるみたいでは?
「なんでまたそんなわざわざ俺のいないときを狙うみたいな真似するんだよ? 俺、結構な頻繁にここにお邪魔してるけど」
 というか、どこかに出かけないときは大抵俺が愛佳の家に来ている。
 だってほら、さすがに一人暮らしの男の家に女の子呼んだりできないだろ?
 …………掃除とか出来てないという、そういった意味も含めて。
「まあ確かに郁乃ってあんま活発に外出るタイプじゃないだろうけど、それじゃあ遊びに行ったりすることも少なくなっちゃうんじゃないか?」
「別にあたしの勝手でしょ」
 確かにそうなんだが、なんでまたそんな奇怪なことを……。
「……あっ、もしかして郁乃、お前」
「――っっ」
「二人きりにすると俺が愛佳に変なことするとか失礼なこと思ってるんだろ」
「…………」
「ったく、心配しなくたってそんなことしないよ。郁乃はホントお姉ちゃんっ子だな」
 やれやれと肩をすくめていると、郁乃は自分の下にあったクッションを俺の顔めがけて思い切り投げつけてきた。
「わぷっ!? なにすんだよ!」
「うっさい、鈍感!」
 なぜ鈍感呼ばわり。
「あれ、もしかして……違ってた?」
「違ってないわよっ!」
 なぜか怒っている郁乃をこれ以上刺激しないようにと恐る恐る聞いてみるが、努力の甲斐なく郁乃から返ってきたのは怒声だった。
 ……どうして怒られるんだ。
 というか、当たってたなら別に鈍感じゃないんじゃ。
「フンっ」
 郁乃は一層機嫌悪そうに、ボフっと後ろのベッドに乱暴に身を投げ出した。
 俺はといえば、さっきからの郁乃の支離滅裂な言動に首をひねるばかりだ。
「おまたせぇ。……どうかしたの?」
「それが俺にもよくわからない」
 ……女って難しい。
 ここは気を取り直して、当初の通りアイスでご機嫌取りといこう。
「ありがと、愛佳。ほら郁乃、好きなの選んでいいぞ」
 愛佳から受け取った袋を、郁乃の前でがさっと広げてやる。
「アイス食べるだろ?」
 郁乃はチラッと俺を見たあと手元の袋に目をやり、ようやくベッドに横たえた体を起こしてこちらに寄ってくる。
 ああ、なんだか動物餌付けてる気分だ。
 袋の中には三種類、バニラのカップアイスとオレンジのアイスキャンディー、そしてチョコのソフトクリーム。
 全部同じものにしておこうかと思ったが、それはそれで面白みがないのであえてバリエーション豊富にしてみた。
 俺はあまったものでいいし、これだけメジャーなラインナップならハズレらしいハズレもないだろう。
「愛佳も好きなの取ってって」
「たかあきくん先に選んで。あたしはあとでいいから」
「……あたしも余ったのでいい」
 そうきたか。
 あーもー、そうだった、遠慮深い愛佳と意地っ張りな郁乃が相手じゃ、こうなることくらい予想できたのに。
 しょうがないな。
 たかがアイスの種類だ、ここはムリに譲り合わずさくっと適当に選んでしまったほうが早い。
「じゃあ、先にもらうな」
 どれにするか……、今日はなんとなくバニラな気分だし、カップアイスにしとくかな。
 ひょいと自分の分を袋から取り出すと、愛佳が郁乃に声をかける。
「郁乃はどれがいい?」
「余ったのでいい。お姉ちゃん先に選んでいいよ」
 郁乃の言葉を素直に聞いて、愛佳は袋からソフトクリームを手に取った。
 残ったアイスキャンディーは郁乃に。
 これはあくまで予想だけど、きっと愛佳は郁乃の好みを知ってて、好きそうな方を残してやったんだろうな。
「それじゃいただきます」
「いただきます。たかあきくん、ごちそうさま」
「…………いただきます」
 郁乃はまだ機嫌が治りきってはいないようだが、だいぶ態度が軟化しているな、よかった。
 愛佳も以前ならば代金を払うと言ってきていたところだが、教育の成果あったようでこういうときは素直に奢られてくれるようになっている。
 うむ、よきかなよきかな。
 ほのかな満足感に浸りながら、アイスのフタを開け、真っ白なバニラの平地に向かってスプーンを……。
「…………」
 つきたてようとしたところで、愛佳の熱い眼差しに気が付いた。
 なんだろう、見つめられてる?
 ……いや、違う、これは……。
 愛佳の視線は俺ではない、アイスのフタに注がれているのだ。
「……えっと、いる?」
「え? や、やだなぁ、何言ってるんですかたかあきくんったら。そんなのいるわけないじゃないですかぁ」
 ひょいと差し出されたアイスのフタを、両手を前にして押し返そうとする愛佳。
 もはやお馴染みの愛佳の焦ってるときのリアクションだった。
「いらないの?」
「とっ、当然ですよぉ」
 そういう愛佳の視線は、相変わらずアイスのフタに釘付けだった。
 とはいえ、いらないといってるのを無理に押し付けるのもあれだし……。
 愛佳に差し出されたまま行く先を失ったアイスのフタを、ゴミ箱代わりに袋の中に放ろうとする。
「あっ?」
「今『あっ』って言った?」
「いえ、言ってませんよ」
 愛佳はあくまで強情だった。
 この辺の意地っ張りなところ、郁乃とそっくりだよな。
 似ていないようで似ている姉妹なのだ、二人は。
「……ん?」
 ふと、愛佳とは別の視線を感じて振り向くと。
「…………」
 郁乃も、俺の手元のアイスのフタをじっと見つめていた。
 ……ほんと、似たもの姉妹だ。
 ここで『郁乃、いるか?』なんて馬鹿正直に聞いたところで、きっといるわけないでしょバカとかなんとか罵られるだけだろうが……。
 このまま無視ってのも気が咎められる。
「郁乃、いるか?」
「んなっ、いっ、いるわけないでしょ! バカっ!」
 怖いくらい予想通りだった。
 気遣いって難しいです、お父さんお母さん。
「たかあきくん、それ捨ててきますね」
「へ?」
 言うが早いか、愛佳は俺の返事を聞く前にアイスのフタをひょいと取ると、そのまま部屋を後にする。
「…………」
 わざわざ捨てに行ってくれなくても、ゴミ箱代わりの袋がすぐここにあるんだが……。
 愛佳の突飛な行動に呆気に取られている間に、愛佳は戻ってきたのだが。
 その妙に満足気な表情が気になった。
 もしかして……、わずかな疑念が首をもたげてきて、つい凝視してしまう。
「? どうかしました」
「口元、バニラついてるよ」
「えぇ!?」
 言った途端ばっと口元を抑える愛佳。
 ……やっぱり舐めたのか。
「ごめん、ウソ」
「ひっ、ひどいよぉ」
 しまった、いじめるつもりはなかったのに。
 涙目になった愛佳を前にして、軽い後悔が襲い掛かってくる。
「まあまあ、俺もアイスのフタは舐めちゃいたくなるときあるし」
 実際に舐めはしないけど。
「あっ、あたしだって舐めてませんよ?」
「この期に及んでまだそういう」
「ちっ、違うんです! ほ、ホントにホントなんです!」
 なおも必死に食い下がろうとする愛佳。
「舐めてません、ちゃんとスプーンですくって食べました!」
「……あ、そ、そうなんだ」
「はい!」
 汚名返上したとばかりに胸を張る愛佳。
 どうやら、愛佳の中では直接舐めていなければセーフらしい。
 一方郁乃は、そんな愛佳と俺の手の中のカップアイスを恨めしそうな目で見比べている。
 ……訂正、どうやら小牧家ルールではスプーンならセーフらしい。
「次は3つともカップアイス買ってくるよ」

 

「それじゃ、お邪魔しました」
 もう日も暮れ、夕飯時も間近という時間。
 そろそろ頃合ということでおいとますることにした俺を、愛佳と郁乃が玄関まで見送ってくれる。
「夕ご飯、一緒に食べていけばいいのに」
「それはさすがに悪いから」
 このみや春夏さんにですら、ご飯をご馳走になるのは遠慮してしまう俺には、愛佳の誘いをどうしても躊躇われてしまう。
 気持ちだけ、ありがたく頂戴しよう。
 何より、愛佳や郁乃、さらにはその家族と一緒に食卓を囲うというのは、緊張してしまって食事どころではなくなりそうだ。
「それじゃあまた」
「うん」
 軽く手を振って歩き出すと、郁乃がすっと横に並んで、ツンと素っ気無く言葉を漏らす。
「コンビニまで用があるから、ついでに送ってってあげる」
 後ろを振り返ると、愛佳はまだ小さく手を振ったまま。
 つまり、『よろしく』ということだろうか。
 任せとけ、と手を振り返すと、家の中に戻っていった。
 きっと今日も夕食の支度を手伝うのだろう。
 郁乃と二人、会話のないまま道を下っていく。
「そうだ」
 別に会話のない気まずさを紛らわそうとしたわけではないが、ちょうど思いついたことがあったので口にする。
 ……ほんとだぞ?
「なに?」
 郁乃も会話のなさを気まずく思っていたのだろうか、すぐに乗ってきてくれる。
「今度どこか遊びに行くか?」
 しょっちゅう俺が家にお邪魔するせいで、心配性の妹は安心してあまり遊びにいけないようだからな。
 せめてものお詫びにと、俺がどこかに連れて行ってやろうと思ったのだ。
「そっ、それって」
 なにやら慌てたように口ごもると、今度は黙り込んで俯いてしまう。
 が、それも一瞬のことで、すぐに顔を上げる。
 口を開いたときには、もういつもの郁乃だった。
「それって、デートの誘いのつもり?」
 うん、ばっちり小憎たらしい郁乃だ。
「デート? うーん、一応そうなるのかな」
 そういったときの郁乃の反応は、なんだかよくわからないものだった。
「そ、そう。ふーん」
 嫌がってるのか喜んでいるのか、とりあえず、郁乃らしからぬ表情の変化を見逃さなかった。
 なんだか郁乃の反応は読みづらいんだよな。
 だから。
「まあ、三人で妹同伴でもデートって呼べるよな、多分」
 そう言った直後、なんでローキックを食らわされたのかも、俺にはさっぱりわからなかった。
「……なんでだ」
「ふんっ、鈍感っ」
 今日何度目かの鈍感呼ばわり。
 なぜ鈍感と呼ばれるのかが分からないあたり、やっぱり俺は鈍感なんだろうか。
 コンビニに用があると言っていたはずの郁乃は、俺にケリをかますとそのまま怒って引き返してしまった。
「くそ、何でこんな目に」
 痛みの引かない足を引きずったまま、コンビニの前までなんとかやってくる。
 店内に入り、湿布でも買っておこうかと思った頃に痛みが薄らいでくれる。
 さて、これで用事はなくなってしまったのだが、このまま何も買わないのも悪い気がする。
 せっかくだ、カップアイスをボックスから一つ取りだす。
「ありがとうございましたー」
 店員の声に送られて、袋を片手に帰途に着いた。
 夕方といってもまだ暑い。
 早く涼みたい一心でドアを開けると、家の中からはムワっと蒸し暑い空気が漂ってくる。
 はぁ、これじゃあ外の方がマシなんじゃないだろうか。
 とはいえ、外のほうも涼しさなどは微塵もない。
 諦めて玄関をくぐり、リビングのエアコンをつける。
 部屋が冷えるまで少しかかりそうだ。
 買ってきたばかりのアイスの存在が心強かった。
 さあ、食べよう、と思ったところで、フタが妙に気になってしまう。

「…………」

 スプーンでこそぎ落としたアイスは、カップの中のものよりもおいしかった気がした。
 少しだけ二人の気持ちがわかった気がする、そんな夏の日。

 

end