Epilogue"M"
珊瑚ちゃんからクマ吉を預かって共に過ごしたあの日から数日後。
俺は今、バス停にいた。
目の前には珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃん、そして珊瑚ちゃんの腕の中にはあのクマ吉が抱かれている。
そうして、俺の告げる言葉は……。
「よ、クマ吉」
いつものように、軽い口調で挨拶をする。
ついさっきまでピクリとも動かなかったクマ吉が、今は俺の言葉に頷いて返事をしてくれる。
別れの挨拶のために、この見慣れたクマのぬいぐるみの仮ボディに接続してくれたというのだ。
「研究所にいるんだってな」
先ほど珊瑚ちゃんから聞いた話。
クマ吉の本体は、実は遠く離れた研究所にいて、そこから無線でこの仮ボディに接続していたのだという。
そして、そのクマ吉との別れの意味するもの。
……きっとクマ吉とは、これが最後だ。
いろんな感情が渦巻いている。
名残惜しさと、寂しさと、懐かしさと、他にもいっぱいの気持ち。
「正直に言っちゃうけどさ」
言うべき言葉は多くないはずなのに。
それでも、少しでも多くの言葉を重ねようと言葉を紡ぐ。
「今日クマ吉が壊れちゃったと思ったとき、俺、すごく悲しかったんだ」
うっ、と瑠璃ちゃんが小さくもらし、気まずそうな顔をしている。
別に責めてるんじゃないよ、と苦笑したまま軽く手を振り、言葉を続ける。
「たかがロボット相手にとか思うやついるかもしれないけど、悲しかったよ」
訥々と語る。
照れくさいし恥ずかしいことでもあるが、もう会えないのだ。
ならば伝えられないまま胸のうちにしまわず、言ってしまおう。
「俺にとっては大事な友達だから。俺、お前のこと大好きだったからさ」
そこまで言うと、クマ吉の頭に手を乗せ、今までみたいに撫で回してやる。
「だから、お前とお別れですごく寂しい。いきなりいなくなってて、俺ちょっとショックだったぞ」
大人しくなでられていたクマ吉の頭から手を離し、すっと差し出す。
「でも……こうしてわざわざ会いに来てくれた。だから、ありがと」
俺の意図を理解してくれたらしく、クマ吉もその指のない手を俺に向かってまっすぐに伸ばしてきた。
「研究所でも元気でな。それから、あんまり乱暴するなよ」
そう言って、クマ吉の手を握って軽く揺らす。
クマ吉は構造上手を握ったり出来なくて俺が一方的に握っているだけだが、これは紛れもなく握手だった。
人間でもぬいぐるみでもロボットでも関係ない、俺とクマ吉の間に確かにあった絆の証。
バスが来る。
名残惜しいが、ここまでのようだ。
握っていた手を離すと、クマ吉がブンブンとその手を振ってくるので、俺も軽く振り返してやる。
バスが止まり、扉が開いた。
瑠璃ちゃんが先にバスに乗り込み、次に珊瑚ちゃんがこちらを向いたまま、きっとそれはクマ吉に俺が、俺にクマ吉が見えるようにと、軽やかなバックステップでバスに乗り込む。
そこで、珊瑚ちゃんが耳打ちするみたいにクマ吉の耳元で呟いた。
「みっちゃん、ええこと教えたるな。貴明、やっぱりおっぱい大好きみたいやったよ」
「違う! それは誤解だ!」
じっと、俺を見上げるクマ吉。
その視線の意味は……あまり考えたくない。
ああ、これが最後の思い出なんてのはいささかあんまりだ。
せめて少しでもクマ吉の中で俺のイメージが損なわれていないことを祈ろう。
「ほな、行くな」
扉が閉まり、バスが出発しようとする。
クマ吉は、扉にべったりと顔をくっつけると、再び大きく手を振ってきた。
バイバイ?
そんなクマ吉の声が聞こえた気がした。
俺もバイバイと小さく呟き、クマ吉に合わせて手を振り返す。
そうして、走り出したバスはどんどん小さくなっていく。
……短い間だったけど、とても楽しかったよ、クマ吉。
それからまた少しだけ時間は流れて。
もう夏も近いという季節。
イルファさんもすっかりここいらに馴染み、ちょっとした商店街の人気者になっていた頃。
初めて出会った頃が嘘のように、イルファさんと瑠璃ちゃんも打ち解けてるし、ほんと良かった。
珊瑚ちゃんも含め、今となっては三人の誰が欠けてもいけない家族そのものになっている。
当時はどうなることかとハラハラさせられたものだが円満そのものだ。
俺もこのところは彼女たちと一緒にいる時間が増え、夕食はほとんど毎日ご馳走になって、休日なんかは俺の一人暮らしの現状を見かねたイルファさんが掃除や洗濯などをしにわざわざやってきてくれる。
お世話になりっぱなしで、ほんと申し訳ないです。
そういえば、今日もそろそろイルファさんが来てくれる頃だな。
ちらりと時計を見やると、もうそんな時間になっていた。
そんなことを考えていると、ぴんぽーんと、玄関のチャイムが鳴り響く。
噂をすればなんとやら、どうやらイルファさんが来たらしい。
玄関まで出迎えに行くが、イルファさんはなぜかまだ中に入ってきていない。
「……?」
おかしいな、いつもならチャイムを鳴らしたあと勝手に入ってきてるのに。
鍵は開いている。
そもそもイルファさんは合鍵を持っているから、鍵が閉まってようと関係ない。
もしかしてイルファさんじゃなかったのか。
ぴんぽーん、ともう一度チャイムが鳴る。
「あ、はーい」
どうやらお客さんだったらしい。
何だろう、宅急便かな。
だが、玄関を開けると、そこには見慣れたメイド服姿が。
「あれ、イルファさん……」
いや、違う。
目の前の女性は、確かに服はイルファさんの着ているものと同じだし、耳に見慣れたカバーも付いているし、顔も一瞬見紛うくらいにすごく似ているが……。
イルファさんが目も冴えるような青なのに対し、彼女の髪は淡い赤。
髪型もショートカットのイルファさんのそれとは違い、肩ほどの長さの髪が外巻きにカールしている。
その外見からメイドロボなのは間違いないが……。
「えーっと、どちらさまですか?」
「……やっと会えた」
「へ? うわっ」
彼女は小さく呟くと、次の瞬間にはがばっと俺に抱きついてくる。
「え? え? あの、ちょ、ちょっと」
驚きで頭が真っ白に染まりながらも反射的にぐっと下半身に力を込めて何とか踏みとどまると、次の瞬間、一拍置いて突然抱きつかたという事実を理解し、慌てふたいてしまう。
そんな俺を見て、彼女はクスリと笑う。
「久しぶり。あ、でもこの姿だと初めてか」
なにやらよくわからないことをいうと、俺の首に回していた腕をほどいて、改めて俺の前にきちんと立つ。
そしてこほんと一息つくと、にっこりとまぶしい笑顔を浮かべ、こう言った。
「初めまして。私の名前は…………」
それは再開であり、始まりだった。
俺と彼女の、騒がしくも楽しい日々の。
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