「ホームステイ?」
「みたいなものです」
 突然やってきたイルファさんから相談があると言われて、聞いた話はあまりにも予想外のものだった。
「以前お話したことがありましたよね。私には妹がいる、と」
「うん、ミルファとえーと……ああ、そうそう、Sサイズのシルファだっけ?」
 クマ吉として出会い、専用ボディを手に入れてからと言うもの毎日のように家にやってくるミルファは既にお馴染みとなっている。
 今では家事の不得手な俺に代わってほぼ、というよりもむしろ全ての家事労働を請け負ってくれているミルファは、その甲斐あってもはや俺なんかよりもよほど俺の家のことに詳しいのではないかってくらいになっている。
 そのことについては大変ありがたいし感謝の言葉もないのだが、初日から俺の家に住み込むつもりだったらしく、今は辛うじて踏みとどまってもらっているが、いつ実現させられてしまうか内心ひやひやだったりする。
 今のところは『まぁこれはこれで通い妻みたいだし』とそこそこ現状に満足してくれているのがせめてもの救いだ。
 閑話休題。
 言われるまですっかり忘れていたが、確かにイルファさんにはもう一人妹がいるという話を出会ったときに聞いた覚えがあった。
 そのもう一人の妹こそが。
「はい、その通り、HMX-17cシルファです。覚えていてくださったんですね」
「まあ覚えていたというか、思い出したというか」
 言われなければ思い出しもしなかったであろうことから、これは立派に忘れていたといって差し支えない気もする。
「それで、それとホームステイにどんな関係が?」
「はい、そのシルファちゃんなんですけど、ようやくボディの方も完成していよいよ運用テストという段階にまでさしかかったのですが」
「……ですが?」
 話の内容からするとめでたいことのような気がするが、なぜかイルファさんの口調は沈んでいる。
 はぁっと悩ましげに溜め息までついちゃってるよ。
 ようやく妹機が完成するというのなら、それは祝いこそすれ憂うようなことではないと思うんだが。
 ああ、つまりそこが相談の内容ということなのか。
 案の定と言うか、イルファさんはその悩みの種とも言える『シルファ』の持つ問題について教えてくれたのだが
「実はシルファちゃん、ものすごい人見知りなんです」
「……はぁ。そりゃまた……」
「もう、貴明さん、私真剣なんですよっ」
 イルファさんがめっとばかりにこつんと額を人差し指でつついてくる。
 いや、我ながら気の抜けた返事だったとは思うけど……他になんて言えばよかったんだ。
 人見知りするメイドロボって前代未聞ではなかろうか。
 メイドロボの前提を覆しかねない存在だ。
 いや、つまりそれほどまでに珊瑚ちゃんの提唱したダイナミック・イン……えーと……、大根・インゲン・飽きてんじゃー(仮称)がすごいんだ。
 忘れがちな事実だが、改めて身近の天才少女の才能に驚嘆する。
「シルファちゃんの人見知りを何とか改善できないかと思いまして」
「はぁ……じゃなくって、そ、そうですね。ぜひとも改善すべきです」
 空気の抜けるような返事をしそうになってしまい、イルファさんが再び指を突きつけようとスタンバイしていることに気付き、慌てて言い直す。
 それ、かなり恥ずかしいんです。
「はい、そこでシルファちゃんには運用テストを兼ねてしばらくの間見知らぬ人と一緒に生活してもらうというプロジェクトが立案されたんです」
 なんだか、ある程度話が読めてきてしまった。
「もしかして……その見知らぬ人っていうのが……」
「はい、貴明さんにお願いしたいと思いまして」
 あ、やっぱり?
 イルファさんのお願いなのだからできれば聞いてあげたいのだが、俺としては出来ればこの話はお断りしたい。
 お忘れかもしれないが、俺は女の子に対して苦手意識を持ち合わせている。
 今でこそ慣れたが珊瑚ちゃんや瑠璃ちゃんに対しても相当なものだったし、今でもニューカマー相手だとダメのダメダメだ。
 ……情けないとか言うな。
 まあ、そんなわけでやんわりと断る方向へ話を持っていこうとするのだが。
「でも俺って珊瑚ちゃんたちとだいぶ親しいし、条件が合わないんじゃないかな」
「いえ、その点は大丈夫です。確かに貴明さんは珊瑚様と瑠璃様、それに私やミルファちゃんともらぶらぶですが」
 あの、そこまでは言ってないんですけど。
 しかし話の腰を折るのも良くないので、ひとまず黙って聞いておく。
「シルファちゃんにとって会ったことのない貴明さんは見知らぬ人間にカテゴライズされます。名前くらいは知っているでしょうが」
 名前を知っただけで普通に接せられるなら人見知りなんてしませんからね、とイルファさんは微笑んでいる。
 脳裏にガシャンと自分の後ろにある門が閉まるような映像が浮かぶ。
 あ、退路が断たれた。
「でもそれってだいぶ荒療治なんじゃ……」
「ええ、ショック療法ってヤツですね」
 ……いや、そんなにっこり笑って言わなくても。
 そのショックの当て馬にされる俺はちょっと傷付く。
「あの……引き受けてはいただけないでしょうか。私も無理にとはお願いできませんので、貴明さんがダメとおっしゃるなら仕方ありませんが」
 態度と言葉は控え目そのものなのだが、その潤んだ瞳でじっと顔を覗き込んでくるのはある意味これ以上ない攻撃的手段だ。
 ……俺、やっぱり女に甘くて苦労するタイプなのかもしれない。
 この場にはいない親友にして幼馴染の的確な分析に脱帽。
「わかりました、俺でよければ……」
「ありがとうございますっ」
 言うや否や、イルファさんは身を乗り出してその柔らかな両の手で俺の手を包み込んでくる。
「うわっ……とと」
 いくらなれた相手とは言え、そういうストレートなスキンシップには未だに耐性ができていない。
 反射的につい振りほどきそうになってしまったが、理性を総動員して何とか押し留まる。
「……ふぅ」
 ホッと一息つく。
 危ないところだった。
 そんなことをしたら、きっとイルファさんはわざとらしいくらいに落ち込んで、しばらくはそれをネタにされてイルファさんに頭の上がらない状態になってしまっていただろう。
「貴明さんならきっと引き受けてくださると信じてました」
「う、うん……まぁ」
 相変わらず手を握ったまま笑っているイルファさん。
 すぐ近くに顔があって、どきどきと脈打つ心臓が体中の血液を急速に循環させ、体中を火照らせるような感覚。
 だが、事も無げなイルファさんの発言によって。
「信じていたので、既にシルファちゃんに来てもらってます」
「……え」
 上昇した熱は一瞬で引いていった。


 Story"S"


「HMX-17c、シルファです。その……よろしくお願いします」
「あ、こ、河野貴明です」
 丁寧に両手を前で合わせて礼儀正しくぺこりとお辞儀する少女に、俺も慌ててお辞儀を返す。
 イルファさんのときもそうだったが、こういうきちんとした人を前にすると自分の育ちが酷く粗悪なように思えてしまう。
「こちらこそよろしく、シルファ」
 あの爆弾発言が投下されたあと、イルファさんは玄関まで行ったと思うと、すぐにこの目の前の少女、シルファを連れて戻ってきた。
 どうやら最初から玄関の外で待機させていたらしい。
 これだけ用意周到に準備しておいて、お願いも何もあったもんじゃないじゃないか。
 一言くらい文句を言ってやりたいところだが、生憎イルファさんは帰ったあと。
 イルファさん曰く。
『私がいてはシルファちゃんの独り立ちの邪魔になりますから』
 だそうだ。
 当のシルファといえば、口を一文字にぎゅっと結び、ガチガチの直立姿勢で傍からみてもに緊張しているのがわかる。
 不安そうな目つきで窺うようにこちらをちらちらと見てくるシルファ相手に代わり文句をぶつけるなんてことは出来ず、結局いつものようにグッと呑み込んでおしまいだった。
 それにしても、ミルファのときも同じことを思ったが。
「やっぱりそっくりだ」
「そっくり……ですか?」
 ついぽろっと零れた感想に、シルファは恐る恐ると言った様子で聞き返してくる。
「あ、ごめん。イルファさんやミルファに似てるなと思って」
「ど、同型機ですので」
 服装は同じタイプのメイド服、顔立ちも姉妹機だけあってよく似ていて(というか、もしかしたら同じなのか?)、髪型が同じだったら見分けるのは困難きわまるものだったと思う。
 髪の色はそれぞれイルファさんがブルー、ミルファがレッドなのに対しシルファはイエロー……というか金髪で、背中ほどの長さの髪を後ろで三つ編みで一つに結っている。
 いかにも大人しそうで清楚なイメージだ。
 いや、実際さっきからものすごく大人しいんだけどさ。
 その仕草一つ一つがあまりにも女の子女の子しているせいで、先ほどからどうにも俺までどきどきしてしまう。
 これじゃあシルファの人見知り克服が目的なのか俺の女性苦手の克服が目的なのかわからなくなってしまう。
「あの、貴明様」
「そんなかしこまらなくてもいいけど。俺もシルファって呼び捨てにしちゃってるし」
 そういえばそうなんだよな。
 ミルファもそういう風に呼んでいるせいで、つい同じようにしてしまっていたが、これは逆に馴れ馴れしかったかもしれない。
「今さらだけど、呼び方変えた方がいいかな?」
 シルファさん、は何か違うし、呼ぶとしたら……シルファちゃん?
 そんなことを考えていると、当のシルファはあわあわと手を振りながら。
「いっ、いえっ、そんな。貴明様はご主人様ですから、呼び捨ててくださって結構です!」
「そ、そう」
「すっ、すみません、取り乱してしまいました」
 そのあまりの慌てように思わずたじろいでしまうと、それに気付いたシルファはますます萎縮してしまう。
 俺もたいがい緊張しているが、それを軽く凌駕する緊張ぶりだ。
 まあ、人見知りの子が初めて会った相手といきなり二人きりになれば、当然と言えば当然の反応か。
 それにしてもご主人様、か。
 今の様子では、様付けをやめてほしいなんて言うと余計に酷いことになることは請け合い。
 ちょっと背中がゾワゾワっとなるが、とりあえず今は言及しないでおく方が良さそうだ。
「えっと、それで何かな?」
「あっ、はい。えっと、まずは何をすればいいでしょうか?」
 どっちかと言うと、それは俺が聞きたかった。
「うーん、会話の練習とか?」
 ベタではあるが基本は疎かにできないもんな。 
 相手は俺しかいないけど。
 が、シルファは何を思ったのか、黙り込んで何かを考え込むような素振りをすると、おずおずと質問してくる。
「あの、そういうことではなくメイドとしてのお仕事は……」
「あ、ああー。うん。そういうことね、なるほど」
 思い切り見当ハズレの方向に思考を走らせていたらしい。
 誤魔化すように大仰に頷いたりして納得した振りをする。
「メイドの仕事……うーん」
 せっかく意気込んでいるところに水を差すようで悪いのだが、現在の我が家は既にお抱えメイドさんが一人いるようなものなのだ。
 ミルファが来てくれるようになってからは家中に手が行き届いているため、シルファに頼むような仕事が残っていない。
 強いて言えばせいぜい食事の支度くらいだが、今日はたっぷり寝坊したため、ちらりと見た時計は朝食にはだいぶ遅く昼食にはまだ早いという半端な時間帯を示していた。
 いや、そもそもシルファは家の世話をしてもらうためにやってきたのではないのだから、そんなことさせていては意味がないじゃないか。
「それじゃあ、一緒に買い物行こうか?」
「お買い物ですか?」
「うん。昼飯の材料買うついでに案内してあげるよ。シルファももうすぐ珊瑚ちゃんたちと一緒に住むんだろ? それなら商店街の情報とかあったほうがいいんじゃないかな」
「一緒に……住む……」
 シルファは何やらぽそっと呟くと、急にグッと両拳を握り締めると。
「そう……私、一緒に住むんだもん」
 自らを奮い立たせるようにふぁいとっ、と小さく声を出す。
 そうか、きっとシルファなりに珊瑚ちゃんや瑠璃ちゃんたちのためにと思っているに違いない。
 そういえばイルファさんも来たばかりの頃はこんな感じに心密かに気合入れてたっけな。
「あの、貴明様、案内をお願いしてしまってもいいでしょうか?」
「もちろん、それじゃあ決まりだ」
 早速手早く準備を済ませ、二人で家を出る。
 家の中に二人、互いに気にし合って張り詰めているよりも、何かしらの話のタネが転がっていそうな外を歩いている方がいくらかマシだろう。
 それに、買い物をするという名目で他の人と接する機会を設けるのも、人見知りをするシルファにはいい経験になるのではないか。
 うん、咄嗟の思いつきとは言え我ながらなかなかいいところを突いたもんだ。
「それじゃあまずは商店街に行こうか」
「は、はい」
 声からシルファの緊張が伝わってくる。
 まあ気持ちはわからないでもない。
 家の中で二人っきりというのも気まずいが、こうして二人で外を歩くと言うのもそれはそれでデートみたいで緊張してしまうのだろう。
 ……でーと?
 何気なく浮かんだ単語がふと引っかかり、心の中で反芻してみる。
「…………」
 うわーーーっ!
 そうだよ、全然気付いてなかったが、よく考えればこれってまるでデートじゃないか。
 じゃあ俺無意識に初対面の女の子をデートに誘っちゃったのってこと?
 怪我をしたことに気付くと途端に傷が痛く感じるのと同様、意識したが最後、気まずさは坂を転げ落ちる雪だまのようにどんどんと増大していってしまう。
 だいたい俺だって女の子と二人で歩きながらあれこれと話題を振れるタイプじゃない。
 何かを言おうとしては戸惑われて口を噤み、その繰り返しで俺たちの間には沈黙が流れる。
 お互い無言のまま、落ち着きなくあちこちに視線を泳がせながら二人並んで歩を進めてゆく。
「…………」
「…………」
 これじゃあダメだ、俺まで黙り込んでいてしまってはシルファが余計に不安がる。
 落ち着け、これはデートじゃない。
 ただ街を案内するだけじゃないか。
 自分によく言い聞かせ、一つ深呼吸。
 えーと、何か話題はないか、話題は。
「あー、えっと、シルファのボディって最近完成したんだってね?」
「は、はい」
 ここで話を打ち切ってしまってはいけない。
 ぎこちないながらも、何とか会話を継続させる。
「新しいボディの具合はどう?」
「……その、すごく良好です」
 自分では無難な返し方だと思ったのだが、なぜか、シルファは途端に顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。
「そ、そうなんだ、よかった」
 シルファが何を恥ずかしがっているのかわからないが、その反応につられてなんとなく俺のほうまで照れてしまう。
 なんでそんなリアクションをされたんだろう。
 そんな俺の心の内を察したのか、シルファは俯いたまま自分からその理由を話してくれる。
「すっ、すみませんっ。男の方に自分の体についてお話しするのが、その……少し恥ずかしくて」
 大変よくわかった。
 おかげで、今度ははっきりと俺のほうも恥ずかしくなってしまう。
 ……聞かなきゃ良かった。
「あの、実はこうして外を歩くのも今日が初めてなんです」
 再び沈黙が流れそうになると、驚くことに今度はシルファのほうから話しかけてきてくれた。
 もしかしたら話をしようとするこちらの意を汲んでくれたのだろうか。
 俺のほうもありがたくその話題に便乗させてもらうことにする。
「それじゃあ今日研究所から来たばかりなの?」
「はい、まずはママ……こほん、珊瑚様のご自宅に行く予定だったのですが、急遽変更したとかでイルファお姉さまが迎えに来て」
 なんか今『ママ』って聞こえたような。
 いや、ここは聞かなかったことにしてあげるのが優しさだよな。
 それよりも、イルファさんはなんでそんなに行動力に満ち満ちているんだろう。
「それじゃあシルファにも急な話だったんだ」
「え、ええ。お姉ちゃんって時々すごく強引なんです……」
 振り回されるのは今回が初めてではないのだろうか、シルファははぁと溜め息をつきながらそんなことを漏らす。
 なんか今ものすごい共感を覚えた。
 俺たち友達になれるよな、という視線を送っていると、シルファは何を思ったのか、はっとしたように手に口を当てると。
「あっ、いえ、お姉さまはたまに強引ですから。あ、あはは」
 なぜか慌てて言い直す。
 しかも、最後にはちょっと乾いた笑い。
「シルファって、もしかしてさっきから無理して敬語使ってない?」
「……実は少しだけ」
「やっぱり」
「あ、あの、違うんです。誰にでもそんな失礼な喋り方をするわけじゃないんです。ただ、身内のことになるとつい言葉遣いが……」
 もしかしたら、素のシルファはもっと子供っぽい性格なんじゃないか。
 それこそ、お姉ちゃんとかママとか、そういう言葉を普通に口にするような。
 ああ、だからかもしれないな。
 シルファの言葉遣いは、イルファさんのそれと違って妙に固いというか不自然な印象を受けていたのは。
 てっきり初めて会う相手に緊張しているせいだと思っていたけど、それだけではなかったんだろう。
「別に気にすることないさ。変に肩肘張ってるよりも、そういう喋り方の方が可愛くてシルファには似合ってると思うよ」
「貴明様……」
 今日初めて研究所の外に出て、そしたらいきなり今日会ったばかりのやつのところに預けられて。
 人見知りをするシルファにとって、俺なんか比べ物にならないくらい気の休まらない環境だったろう。
 いや、今現在も進行形でそういう環境に身を置いているんだ。
 なら、俺は少しでもシルファが過ごしやすくなるようにしてあげるべきだ。
「まあ、俺は今日初めてあったばかりだからそういう砕けた喋り方するのは無理かもしれないけど、だからって無理に敬語使おうとする必要もない。シルファの話しやすいように話してくれていいからさ。ぽろっといつもの口調が出ちゃっても全然気にすることないよ」
「は、はい。ありがとうございます」
「ミルファなんか、俺にはすごいタメ口だからね。イルファさんがメイドロボの基準だった俺にはあれは衝撃的だったよ」
「ミルファお姉ちゃん、ちょっと乱暴なところありますから」
 くすくすと口元に手を当て、シルファは控え目に笑いを漏らす。
 それは初めて見るシルファの笑顔だった。
 不安と緊張で翳っていた表情はそこにはない。
 なんだ、シルファの心を開くキーはこんなすぐ傍にあったんだな。
「イルファさんやシルファは珊瑚ちゃんが産みの親って言うのは納得いくけど、ミルファは実は瑠璃ちゃんが作ったんじゃないかって思うことがある」
「そんなこといったら瑠璃様に悪いですよ」
「今のセリフ、ミルファが聞いたらきっと怒るよ」
「あっ。た、貴明様、今のはお姉ちゃんにはナイショにしてください……」
「じゃあ、俺の言ったことも瑠璃ちゃんにはナイショね」
 冗談めかした密約を交わし、シルファはもう先ほどのような固さを見せてはいなかった。
 なんてことはない、家族の存在はこんなにも彼女に安らぎを与えてくれるのだ。
 これは我が意を得たりとばかりに、俺はシルファと姫百合ファミリーの話題で盛り上がりながら商店街へと歩いていった。

 

「で、ここが瑠璃ちゃんたちがいつも買ってるお肉屋さん」
「はい、覚えました」
「だいたいこんなもんかなぁ」
 あれから他愛ない雑談をしながら、商店街をぐるっとまわって案内した。
 多少ぎこちないところもあったが、最初のようなお互い黙り込んでしまうようなこともなく、経過は概ね良好といったところだろう。
 一つ自分でも驚いたのが、姫百合一家絡みの話題がこんなにも豊富だったことだ。
 もう商店街をあちこち歩き回って2時間近くが経過しようとしているのに、話のタネはまだ尽きないのだ。
 まあ、珊瑚ちゃんに瑠璃ちゃんにイルファさんにミルファと、ただでさえそれぞれが個性豊かな上にそれが四人も揃っているのだから、ある意味当然か。
「あ、あのカレー屋、珊瑚ちゃんがすごく好きなんだよ。タマゴ入れてぐちゃぐちゃにするのがいいんだって」
「マ……珊瑚様が!?」
「でも瑠璃ちゃんはあんま好きじゃないんだよな。自分のカレーが珊瑚ちゃんの一番じゃないと嫌なんだろうね」
 そんなわけで、姫百合家のカレーは珊瑚ちゃんのナンバー1になるべく今なおその味を上げている真っ最中である。
 別にどっちが一番なんてこと、珊瑚ちゃんは考えてないんだろうとは思うけど、瑠璃ちゃんは変に意地っ張りで負けず嫌いだもんなぁ。
「たまに珊瑚ちゃんにお願いされて、こっそり食べに来てるんだ」
 瑠璃ちゃんには内緒だよ、と冗談めかして釘を差しておくのを忘れない。
 シルファは『はい』と返事をするものの、その視線はカレー屋の看板に釘付けだ。
 なんかグッと握りこぶしまで作っている。
 まさか味を盗むとか言い出さないよな?
「貴明様、機会があれば、ぜひ私もあのお店へ連れて行ってください!」
「う、うん」
 やたらと気合が入ってらっしゃる。
 ほんのりと『まさか』が実現しそうな予感がした
 先ほどから思っていたが、シルファはどうも珊瑚ちゃんの名前が出ると食い付きが違う。

『妹です。3号機のシルファ、引っ込み思案で……かなりマザコン気味ですが……』

 あ、なるほど。
 ふと思い出したかつてのイルファさんのセリフが全ての謎を符合させる。
 ……珊瑚ちゃんを巡って瑠璃ちゃんと大喧嘩とかしなきゃいいけど。
 嫌なくらい現実味のある自分の未来予想図に、一人頭を悩ませた。
「それじゃあ、店の場所のチェックがてら適当に買い物して帰ろうか」
「はい」
 時刻は正午をやや過ぎている。
 何か材料を買って、家で作るのがいいだろう。
「シルファは料理できるの?」
「一応基本的なレシピはインストールされています。お姉ちゃんたちが作れるものなら同様に作れるはずです」
 そりゃすごい。
 イルファさんもミルファも相当料理が上手いしレパートリーも豊富だが、生まれたてに等しいシルファが既に同等とは。
 この辺はデジタルの強みというヤツだろうか。
「それじゃあお昼頼んでもいいかな」
「はい、私に出来るものでしたらなんなりと」
 自信ありげに、でも控え目に承諾してくれた。
 それなら先ほどまで話していたせいで無性にに食べたくなったカレーをリクエスト。
 材料はあえてスーパーを使うのを避け、それぞれの専門店へ。
 しかしさすがというか、シルファはつい先ほど教えたばかりの店を完全に記憶していた。
 出来ることなら限定的にでいいから、その記憶力を分けて欲しいものだ。
 例えばテスト前とか。
「はい、お釣り。また来てね」
「ありがとうございます。貴明様、これで全てでしょうか」
「うん、そうだね」
 イルファさんやミルファがよく馴染んだ商店街は、そっくりな姿をしたシルファにもすごく親切だった。
 シルファのほうも、そつなく買い物をこなし、この分ならいつでも商店街デビューできそうな勢いだ。
 ……あれ、でも人見知りをするって言ってたわりには、あんまりそうは見えなかったような。
 俺が見ていた限り、シルファは見知らぬお店の人相手でも、ちょっと緊張気味ではあったが、これといって困ったような様子もなく至って普通に買い物をしていた。
 おかしいな……もしかしていつの間にかシルファの人見知り克服に成功してたのか?
 俺ってそんなに有能だったっけ?
 自分自身の能力に疑問を抱くのは、身の程をわきまえているからなのか卑屈だからなのか。
 あまり深く考えてもいいことがなさそうなので、あまり気にしないことにしよう。
「それじゃそろそろ帰ろうか」
 そう言って、歩き出そうとしたとき、やや遠目によく見知った姿を見つけてしまう。
 ……げ、まずい。
 これといって険悪な仲というわけでもなく、むしろ非常に近しい間柄なのだが、今この状況においては絶対に会いたくない相手。
 見つかる前にとっとと逃げてしまおうとシルファの手を引いて別の道を行こうとしたが、あいつがこういうときに限っては非常に目ざとい相手だということを忘れていた。
「よう、貴明じゃねーか」
 残念なことに、かくして逃亡劇は始まる前に終わってしまったのであった。
「なーにやってんだこんなところで。おいおい、せっかくの休日に男一人で商店街を闊歩か? 悲しい青春だ……なぁ……」
 雄二の浮かべるニヤニヤとした笑みが、一歩近づくごとに消えうせていく。
 俺の隣にいる少女に気付き、次に、ゆっくりと視線が下がってくる。
 げっ、シルファの手取ったままだった。
 慌てて手を離すが、遅かったらしい。
 雄二の目には『女の子と手をつなぐ俺』の姿がばっちりと映ってしまったらしい。
「おい、貴明、誰だよその子」
 雄二はぐいっと俺の胸倉を軽く掴んで引き寄せると、シルファには聞こえないくらいの小さな声でぼそぼそと問いただしてくる。
「いや、あの子はシルファっていって」
「あの耳のカバー、あの近未来的メイド服……、あの子もメイドロボなのか?」
「うん、まぁ」
 ああ、やっぱりそこに目をつけちゃうわけね。
 雄二はなぜかことメイドロボに関しては人並みはずれた執着心を持っている。
 イルファさんやミルファに初めて会ったときもおんなじ反応をしていたなぁ。
 とくれば、次のセリフはきっとこうだ。
「おい、俺にも紹介しろっ」
 ほら、やっぱり。
 ここで断ったところできっと散々絡んでくるだけだろうし、紹介だけぱっとしてしまうほうが賢明だろう。
「わかったから離せ」
「それでこそ親友だぜ」
 しわくちゃになった服の首元をただしていると、シルファが不安そうな声でこっそりと訊ねてくる。
「あ、あの、こちらの方はどなたなんですか?」
「ああ、こいつは俺の幼馴染で、向坂雄二って言うんだ」
「よろしくー」
 俺の紹介に応え、片手を上げて挨拶をする雄二。
 本人は多分さわやかなつもりなのだろうが、傍から見ているとただの軽薄そうなだけにしか見えないと教えてあげるべきだろうか。
 シルファはびくっと肩をすくめると俺の後ろへと逃げ隠れてしまう。
「くー、保護欲をそそる乙女らしい可憐な仕草、たまらないぜっ」
「こちら、イルファさんとミルファの妹にあたるシルファ」
「おおー、あの二人の。どうりでお姉さま方にそっくりでチャーミングなわけだ」
 たまにこいつの臆面もなくこういうことをいえるところがうらやましくも思える。
 もちろん羞恥心をなくしたいというわけではないが、この肝の据わり方はある意味尊敬してしまう。
 雄二は顔はいいし女の子の機微にも聡いけど、ここ一番でこうやって相手のことを考えずガンガン押しの一手を貫き通してしまうのが難点だ。
「俺、向坂雄二、よろしくぅシルファちゃんっ」
「……シルファ?」
 雄二は握手をしようとしているのだろう、シルファに手を差し出しているが、シルファは相変わらず俺の後ろで縮こまっている。
 そんなシルファをじっと見ると、雄二は差し出していた手を引っ込め、そのままくしゃくしゃと自分の頭をかきむしり、盛大な溜め息を吐く、
「ったく、そういうことかよ」
「? なにがだよ」
「その子もお前のラブラブ帝国の一員だってことだろ。くそー、見せ付けやがって」
「一応聞くが、何だその果てしなく不愉快なものは」
「不愉快なのはこっちだっつーの。珊瑚ちゃんだろ、瑠璃ちゃんだろ、イルファちゃんにミルファちゃん、そんでもってシルファちゃんも加わった夢のようなハーレムのことだ」
 雄二が俺のことをどういう目で見ているのかよくわかった。
 果たしてこいつの親友の肩書きを背負って生きていていいのだろうかと疑問が沸く。
「いっとくが、そんな怪しい帝国は存在しない」
「お前、自分の後ろでそんなすきすきー光線出した子相手にもそんなこと言えんのか?」
「へ?」
 振り向くと、涙目寸前のシルファの顔がすぐ目の前に。
 いや、涙を流す機能を持たない彼女からしたらむしろ泣いてるようなもんか。
 シルファは俺の肩に顔を寄せているというか、埋めているというか、気付かぬうちにかなり密着状態になってしまっている。
「……って、これはそうじゃないだろ」
「ま、いいさ。これ以上見せ付けられちゃたまらないから今日は帰るぜ。またな貴明」
「あっ、おい、雄二!」
 人の話を聞こうともせず、一人で勝手に結論を出して帰ってしまう。
 ……お前、こういうこと言ったら嫌がるかもしれないけど、思い込んだら一直線なところはタマ姉にそっくりだぞ。
「もう大丈夫だよシルファ」
「は、はい……」
 今のは多分、初めて会った雄二に怯えてしまっていただけだろうに。
 治ったもんだと思った人見知りもたった今発揮されてしまったし、今日の雄二は疫病神もいいところだったな。
 ……いや、でもあれは人見知りとかじゃなくてもちょっと気が弱い子だと怖がりそうな気がする。
 うーん、こうなるとどちらが原因か判断が難しいところだ。
 シルファを見ると、まだしょんぼりと俯いたままだ。
 涙こそ流していないが、その姿はまるで泣いているように見えた。
 だからだろうか、そんなことをしてしまったのは……。
「……ほら、元気だして」
 そう言いながら、俺はぽんぽんと軽くシルファの頭を撫でる。
 ……え、撫でる?
 見てみると、俺の手はシルファの頭の上に乗っていた。
 いや、自分が乗せたんだから当たり前だけど。
「うわあっ、ごめんっ」
 自分のした事の重大さに気付いたのは、間抜けなことに事の済んだ数秒後だった。
 言い訳を許してもらえるならば、長年このみという妹みたいなやつと付き合ってきた故だろうか。
 多分意識なんかしていなかった。
 それは無意識に出てしまっただけの、長年の習慣から染み付いた癖。
「ごめんシルファ、つい癖で」
 ぱっと手をどけて、気を悪くしたんじゃないかとびくびくしながら言い訳がましく謝罪する。
 が、シルファは怒る様子もなく、それどころかどこか嬉しそうな微笑を浮かべると。
「謝らないでください、貴明様。私全然嫌じゃないですから」
 そう言うとシルファは、証拠を見せてやるとばかりにおずおずと俺の手を取って自らの頭の上にそっと乗せる。
「全然、嫌じゃないですから……」
 もう一度、ゆっくりとさっきと同じ言葉を呟く。
 それは引っ込み思案なシルファなりの、精一杯のお願いのように思えて。
「……うん」
 俺はもう一度、今度はゆっくりゆっくりと、その頭を撫でてやった。

 

 家に帰り、早速シルファの腕前を見せてもらうことにしたのだが、なるほど、経験不足と初めてのキッチンという条件からかイルファさんたちに比べるとやや手際が悪いものの、それでも見事というほかないほどだ。
 味の方も自信を持って他人に薦められるくらいにおいしい。
 少し遅めの昼食はとても満ち足りたものだった。
「ごちそうさま」
「お粗末様です」
 これが粗末というのならいったいどんなものがご馳走というカテゴリーに入ることが出来るのだろう、なんて事を考えつつ食器をシンクに運ぶ。
 自分がやると言ってきかなかったシルファを分担作業だと無理やり言いくるめてやっと手に入れたわずかな俺の仕事だった。
 数時間前のこの部屋では、今こうして目の前で笑っている女の子はがちがちに萎縮して、俺のほうも緊張して、気まずい沈黙が流れていたんだよなぁ。
 そんなこととても信じられないくらいの大躍進だ。
 シルファはかなり打ち解けてくれたし、俺のほうもイルファさんミルファと耐性ができていたおかげか、すこぶる早くシルファに慣れることが出来た。
「シルファ、せっかくだしこっちでテレビでも一緒に見ない?」
 洗い物を終えたところを見計らって、シルファに声をかけてみる。
「テレビですか?」
 シルファはエプロンの前掛け部分で手を拭きながらリビングへやってくるのだが、本当にその仕草の人間らしいこと。
 今でも本当は人間でしたと言われればやっぱりそうだったんだと納得してしまいそうだからなぁ。
 それはともかく。
「うん、正確には映画だけどね。DVDがいくつかあるんだ。親父たちが映画好きでさ、あんまり最近のはないけど、数は結構あるんだ」
「映画なんて、私初めて見ます」
 顔を綻ばせると、エプロンを外しこちらにとたとたと歩いてくる。
 そうか、シルファは今日研究所から出たばっかだし、初めてのことばかりなんだろうな。
 先ほどの買い物にしても、いろんなものを珍しそうに見てたっけ。
 買い物といえば、あんなデートの真似事みたいになっていたが、あれはあれで功を奏したのだ。
 人との距離を縮めるには、楽しい時間を共有するのが効果的なのではないか。
 そこでこの提案だったのだが、シルファにとって初めての映画鑑賞ということならばなおさらちょうどいい。
 ……あれ、なんか当初の目標とはちょっと違っちゃってるような。
 ふと、少し明後日の方向に向かって進みだしているのではないかという気がした。
 シルファの人見知りをどうにかするってことで買い物はいいとしても、一緒に映画ってこれだと俺とシルファが仲良くなれるってだけなんじゃ。
 いやでもこうして一人ずつ仲の良い相手増やしていくのも地道ではあるけど人見知りの克服にはなる……のか?
「うーん?」
「あの、貴明様、どうかされたんですか?」
「いや、なんでもない」
 まあいいや、せっかくだし。
 深く考えることを止め、今はとりあえずシルファに楽しんでもらえるよう努めることにしよう。
「とりあえずいくつか持ってきたけど、どれがいいかな」
 どれも1〜2年前に話題となった大作揃い。
 シルファの好みがわからないので、ジャンルが被らないよう選んできたが。
「貴明様の見たいのはどれでしょうか」
 いきなり俺を優先させてしまう。
 きっとこういうごく自然に他人を気遣えるというのはシルファの美徳なのだろうけど、今ばかりは難点となっている。
「シルファが見たいのでいいよ。ホラーとかは?」
 珊瑚ちゃんすっごい好きだしな。
 イルファさんにマザコンと評されるシルファなら同じようなものを好んでいるかもしれない。
「ほらー……?」
 だが、予想に反してシルファの反応は芳しくない。
 というかこれって。
「もしかしてジャンルとかわからない?」
「は、はい。すみません……」
 軽く聞いてみただけだったのだが、シルファはしゅんとしてうなだれてしまう。
 どうもシルファは人見知り以前にかなり気の弱い子らしく、なんというか、打たれ弱い。
 不本意ながらも雄二の言う『保護欲をかきたてられる』というのがよくわかる。
「いや、謝ることなんか全然ないよ。こういうの初めてなんだし。えーと、怖いのって好き?」
「こ、怖いのはちょっと……」
 なるほど、趣味は珊瑚ちゃんに追従するわけではないか。
「それじゃあはらはらどきどきするようなのは?」
 ちなみにアクションもの。
 これなら苦手って人はそんなにいないとおもうが。
「す、すみません。あんまりどきどきするとそのまま機関部がオーバーヒートしてしまうんじゃないかと思うとその……ちょっと怖いです」
「うーん、そうか」
 なんというか、その言い方がちょっとかわいらしくてくすりと笑ってしまう。
 遊園地に行ってもジェットコースターなんかの絶叫系は苦手そうだな。
 そういう風に考えると、珊瑚ちゃんよりも瑠璃ちゃんと気が合いそうだ。
 他にあるのは……恋愛ものか。
 えーと、これはどう表現したらいいんだ?
「……ら、ラブラブするようなのは?」
 苦肉の策だった。
 珊瑚ちゃんファミリーならきっと通じるだろうと思うが、口にするのは恥ずかしい。
「とても素敵です」
 しかも食いついた。
 こういうところはしっかりと珊瑚ちゃん譲りなのか。
「それじゃあこれにしようか」
 正直に言えば、俺は恋愛ものってあんまり好きではなかったりするが、せっかくシルファが興味を示したのだ。
 そういうことで早速デッキにDVDをセット。
 ソファに腰掛けてリモコンを手に……って、シルファはなぜ所在なさげに立ったままなんだ。
「シルファも座りなよ」
「よ、よろしいのですか?」
「当たり前だよ」
「は、はい。それでは」
 遠慮がちにとたとたと歩み寄ってくると。
「失礼します」
 と、すとんと俺の隣に腰を下ろしてくる。
 え、あれ、そこ座るんだ。
 一番見やすいようにとテレビの正面のソファを空け、俺はサイドのソファに座っていたのだが、シルファは迷うことなく俺の隣に陣取った。
 思わず『そこでいいの?』と聞いてしまいそうになったが、思いとどまる。
 シルファのことだから、きっとそんな風に言われてしまうと本心がどうあれ素直に席を移ろうとする。
 気の弱いシルファには、何気ない一言にさえ強制力が生じてしまうのだ。
 だから、シルファがここに座ったのならそのまま好きにさせてあげるのが一番いい。
「それじゃはじめよっか」
「はいっ」
 真っ暗な画面にゆっくりと映像が浮かび上がってくる。

 

「んあ」
 ふっと意識が目覚める。
 あれ、俺どうしたんだっけ。
 少しだけ間接が痛い。
 ……ああ、寝ちゃってたのか。。
 ぼやける視界には淡くオレンジに染まった天井。
 せっかくシルファと一緒に見ようと思ったのに、悪いことしちゃったな。
 真隣で居眠りなんてしちゃって、気を悪くしてなければいいけど。
 そういえば、そのシルファはどこにいってしまったのだろう。
 寝ぼけた頭で思考をめぐらす
 横を見てみると、なにやら白いもので視界が覆われる。
「…………?」
 何だろうと思って、手を伸ばそうとしたところで、上から声が降ってくる。
「あ、あの。お目覚めになられましたか?」
「え、ああ、うん」
 聞き覚えのある声。
 今まさに探していた相手のものだ。
 ……え、なんで上から?
「えっ!?」
 目の前の白いものをゆっくりと見上げていくと、はにかんだ笑顔で俺を見下ろしているシルファの顔が……。
「おはようございます」
「え? え? あれ?」
 そこでようやく気付いた。
 俺、シルファに膝枕されてる!?
「ごっ、ごめん」
「あ……」
 慌てて体を起こしそうとするが、シルファの漏らした声が妙に残念そうな響きに聞こえ、驚いて動きを止めてしまった。
「あの、貴明様さえよろしければ、もう少しこのままで」
「う、うん」
 流されるようにシルファの膝に頭を乗せたままでいると、シルファは満足そうに俺の髪を優しく撫でてくる。
「あの、俺いつごろから寝てた?」
「再生時間19分ほどのところです」
 さすがデジタル、時間に正確だ。
 というか、俺はそんな早々に轟沈していたのか。
「それで、その、私にもたれかかってきて……。最初は肩だったんですが、だんだんと体が倒れこんできて、その……膝の上に頭が」
「…………」
 出来ればそこの経緯は聞きたくなかった。
 恥ずかしさと申し訳なさで頭がショートしてしまいそうだ。
「ごめん、嫌じゃなかった?」
「い、嫌じゃないです。だから今も……」
「そ、そう。ならいいんだけど……」
 シルファと顔を合わせていると余計に気恥ずかしくなってしまうので、顔を逸らそうとする。
 が、顔を動かそうとしたところで、そんなことをすればシルファの膝に顔を埋めることになると気付く。
 それは余計にまずいと上を向きなおすのだが、その先にはシルファの顔があって……。
「あ、もう眠気も覚めたから」
 俺のほうが根負けしてしまい、体を起こす。
 やっぱり、女の子の膝に頭を預けておくなんてのは恥ずかしくて無理だ。
「映画どうだった?」
 自分は寝てたくせに何を、と思わないこともないが、一応聞いてみる。
「え、えっと。すごく良かった……と思います」
 なんだか、すごく漠然とした感想。
 そんな俺の考えを察したのか、シルファはごめんなさいとうなだれると包み隠さず真相を教えてくれる。
「その、貴明様が気になってしまって……映画のほうにあまり意識が向いてませんでした」
 あちゃあ、俺やっちゃった。
 そりゃそうだ、俺だって誰かがもたれかかってきたり膝に頭乗っけてたりしたら、内容なんて全然わからなくなりそうだ。
「ほんとごめん」
 それはもうあらゆる意味で。
 申し訳なさ過ぎてバカみたいにごめんと繰り返すくらいしかできない。
「あの、気にしないでください。本当に嫌じゃありませんでしたから」
「うん、ありがとう……」
 本当は一日費やしてでもお詫びしたいところだが、シルファの場合はこれ以上謝っても萎縮してしまうだけだろう。
 なのでここは素直にお言葉に甘えておくことにした。
 気まずいのとは少し違う、でもどこかぎこちない雰囲気が部屋の中を漂う。
「あっ、そうだ。代わりに俺がシルファに膝枕してあげようか」
 なんとか気を取り直そうと、ちょっとおどけてみたのだが。
「い、いいんですか?」
 シルファは、どうやら本気で受け取ってしまったらしい。
 ど、どうしよう。
「その……お願いします」
 きゅっと俺の袖を掴み、体を寄せてくる。
 が、シルファの動きはそこで止まってしまう。
 見れば、顔は真っ赤になって、目をぎゅっと閉じている。
 それでわかった。
 きっとこれがシルファの精一杯なんだって。
 ……ちょっと恥ずかしいけど、しょうがないよな。
「おいで」
 そう言って、シルファの体をちょっとだけ引っ張ってやる。
 シルファの体はそのまま倒れこむように俺の膝元へと吸い寄せられる。
 ぽふっと、シルファの頭が膝の上に乗った。
「男の膝なんて、あんま気持ちいいもんじゃないだろ」
 恥ずかしさを打ち消そうと、照れ隠しにそんなことを言ってみる。
「いえ……なんだかすごく落ち着いて、いい気持ちです」
 余計に恥ずかしくなってしまった気もするが、なんとか我慢。
 落ち着かない気持ちを抑えきれず、つい視線をあちこちへと忙しなく向けてしまう。
 最後に天井を見て、一つ深呼吸。
 シルファはそんな俺を見て、くすくすと小さく笑う。
 そうして、お互いじっとしているだけの、何をするでもない穏やかな時間が過ぎる。 
「……お父さんみたい」
 本当に小さく、ぽそっと呟いた声が聞こえた。
 聞こえたのも偶然だったのではないかというほど、小さな小さな声。
 もしかしたら、それは誰かに向けられた言葉ではなかったのかもしれない。
 ま、でも聞こえちゃったし。
 ちょっとしたイタズラ心も芽生え、つい聞き返してしまう。
「お父さんって、俺のこと?」
「えっ!?」
 思ったとおり、シルファは声を上げ、驚いた顔をして俺を見る。
「ごめん、聞こえちゃった」
「あ、あぁ……ごっ、ごめんなさいっ」
 シルファの顔は見る見る紅潮していき、これ以上赤くならないんじゃないかというところまで真っ赤になるとガバッと顔を伏せてしまう。
 ……いや、それ俺の膝なんだけど。
 そんなことまで考えが及ばないくらい慌ててしまっているのだろうか。
「謝んなくてもいいよ」
 むしろ俺のほうが謝りたい。
 ほんの些細な出来心だったのに、想像以上に効果絶大だったようだ。
 悪ふざけが過ぎた。
 気にしていないよ、ともう一度声をかけると、シルファは恐る恐る顔をこちらに向けてくれる。
 その表情は、少しだけバツが悪そうにしている。
「そういえば、シルファたちにとって珊瑚ちゃんはお母さんなんだよね」
「はい、そうです」
 珊瑚ちゃんの名前が出ると、表情がぱっと輝く。
 さっきのシルファの言葉を聞いて、ふと沸いた疑問だった。
「じゃあさ、父親みたいな存在はいるの? ほら、えーと、『長瀬のおっちゃん』って人とか」
「長瀬のおじさまは、私たちによくしてくださるけどお父様とはちょっと違います。私たちのボディを用意するための施設や資金、HMX-17プロジェクトの支援などをして下さってはいますが、私たちというプログラム……存在を生み出してくださったのは珊瑚様なので」
 聞いているとその長瀬さんってどこか足長おじさんって感じのするな。
 おじさまという呼び名がものすごく似合ってる気がする。
「はは、でもそれなら俺なんて余計に父親から遠そうだ」
 何せシルファたちのために何もしてあげてないし、できることもない。
「あっ、あれはその……貴明様、私なんかのためにいろいろと気遣ってくれて。初めて会ったばかりなのに、私にすごく良くしてくれました」
「別に大したことしてないと思うけど」
「こっ、怖い人から守ってくれました。頭、撫でてくれました。膝枕もしてくれました」
 膝枕は先にしてもらったの俺のほうだったしなぁ。
 それよりも、怖い人って雄二のことだろうか。
 ちょっとだけ吹き出してしまった。
「それで貴明様のこと、私の中のデータベースの父親という姿に一致したので……つい」
 俺、どうも年下に弱いらしい。
 このみのせいで世話焼きというか、父性というか、そういうのが染み付いちゃったのかもしれない。
 さっきシルファが俺にやってくれたみたいに、膝の上に頭を乗せて必死に俺に語りかけてくるシルファの髪をそっと撫でる。
「シルファの父親にならなってもいいな」
「……あの、本当ですか?」
 個人的な要望を言えばお兄さんの方が良かったが、まあシルファにとっては珊瑚ちゃんがお母さんなのだし、父親の方がしっくりと当てはまったのだろう。
 ……別に俺がオヤジっぽいとか老けてるとかそういう意味ではないはずだ、うん。
 信じてるぞシルファ。
「でしたら貴明様の事、そう呼んでも……いいですか?」
 請うような、むしろおねだりするような甘えた声。
 俺の反応を窺うように、おっかなびっくり尋ねてくる。
「うーん、まあシルファがそう呼びたいなら」
「では、えっと……」
 わずかに躊躇うように一拍置かれる。
「パ、パパ」
 うっ、そうか……。
 珊瑚ちゃんのこともママ呼ばわりだったし、それなら父親のこともパパになるのか。
 そんなことを考えていると、シルファが恐々と顔を覗き込んでくる。
「あの、やっぱりダメだったですか?」
「あ、いや、ダメじゃないよ」
 頭を撫でて返事をすると、シルファは嬉しそうに目を瞑る。
 その様子はまるでネコを思わせる。
 ふと、大切なことを思い出した。
「っと、シルファ。お願いがあるんだ」
「何ですか?」
「そう呼ぶの、二人だけのときだけにしてもらってもいいかな」
「……やっぱり嫌だったんですか?」
 途端に沈んだ表情になるシルファ。
「あー、ごめん、そうじゃなくって。……じゃあ珊瑚ちゃんの前でそう呼ぶのは禁止ってことの」
 最大の譲歩にして最も大切な部分。
 珊瑚ちゃんの前でパパママなんて呼ばれちゃうと、珊瑚ちゃんのことだ。
 そのまま勢いで『結婚や〜』とか言い出しかねない。
「……わかりました。パパがそう言うなら、ママの前では呼びません」
 少しだけ不満そうだが、納得してくれたようだ。
「ありがとなシルファ」
 そうしてまた頭を撫でてやろうと手を伸ばしたときのことだった。

 ぴんぽーん

 玄関のチャイムが響く。
 誰だろう、と思うまもなく続いて玄関の開く音。
 とたとたと足音が近づいてくると、なんとイルファさんがリビングに姿を見せた。
「お邪魔します貴明さん。シルファちゃんの様子はどうですか? って、あら、シルファちゃんはいないんですか?」
 どうやらソファの背に隠れてシルファの姿は見えないようだ。
 この隙に何とかこの状態を脱出して……なんて考えているような暇を、イルファさんが与えてくれるはずはなかった。
 すぐにこちらにやってきて、早々に俺の膝の上に頭を乗せるシルファを見つけてしまう。
「あらあら、もうそこまで仲良くなっていたんですか」
「お姉ちゃん、突然どうしたんですか?」
 シルファはむくりと体を起こし、イルファに向き直る。
「様子を見に来たんですが、その必要なかったみたいですね」
 イルファさんはにっこりと笑った顔を俺のほうに向けると、両手を合わせて嬉しそうに言う。
「さすがは貴明さんです。もうシルファちゃんとらぶらぶになったんですね。これならいつ一緒に暮らすことになっても大丈夫ですね」
「……へ?」

 

 

「つまり、シルファの人見知りを直すってのは嘘だったってこと?」
 俺が薦めた向かいのソファに腰を下ろしたイルファさんは、今回シルファを俺の元に預けた計画の真相を打ち明けた。
 その内容はなんというか、まあありていに言えばしてやられましたというもので。
 俺のすぐ隣に座っているシルファもまた俺と同じで真相は知らされておらず、イルファさんの言い包められてよくわからないままここへやってきていたらしい。
「いえ、まったく嘘というわけではありません。ただ本当の目的はシルファちゃんと貴明さんに仲良くなってもらうことだったんです」
 悪意のまったくない笑顔で、これっぽっちも悪びれることなくイルファさんは言い切った。
「俺の頑張りはいったい……」
 どうりで普通に買い物とかしてると思ったら。
 いや、人見知りなのは本当らしいし、俺が勝手に『シルファの人見知り』を過大解釈してただけなんだろうけど。
「でも、まさかたった一日でらぶらぶになってしまうなんて……ちょっと妬いてしまいます」
 イルファさんは俺とその隣にちょこんと座るシルファを順に見やると、わずかに唇をとがらせて俺をじとっと見てくる。
 ちょっと待ってくれ、俺に非はないはずだ。
 むしろ俺は騙された被害者で、イルファさんにしてみれば思い通り事が運んでしてやったりじゃないか。
 だというのに、イルファさんは頬に手を当てるとはぁと小さく溜め息をつき。
「貴明さんがこんなにも手が早かったなんて……節操のない旦那様を持つと苦労するのは妻なんですね」
 などとおっしゃる。
 いったい俺にどうしろっていうんだ。
「でもいいです。私、耐えますから」
 気合を入れて両拳をグッと握るイルファさんに、俺は文句を言う気もそがれてしまって。
「はぁ。まったくもう、イルファさんは……」
 しょうがないなぁ、なんて気分にさせられて、結局許してしまうのだった。
「あ、じゃあシルファはこれでもう帰るのか」
 達成すべき目的は既に達せられてしまったようだし、そうなるとこれ以上ホームステイ(イルファさん談)を続ける理由もないわけだ。
「そうですね。シルファちゃん、今日は良く頑張りました。珊瑚様も待ってますし、一緒に帰りましょう」
「ママがっ!?」
 シルファは顔をぱっと輝かして身を乗り出すが、すぐにハッとして俺の顔を不安そうに見上げてくる。
「でも……」
 どうやら俺だけ置いて帰るのを忍びなく思っているらしい。
 優しい子だ。
「今日は楽しかったよ。また遊びにおいで」
「パパ……」
 なぜかいっそう寂しそうな顔をするシルファ。
 あれ、俺今まずいこと言ったっけ?
 自分ではすごく大人な対応をしたつもりだったのに。
「パパ……ですか?」
「げっ」
 耳聡いイルファさんはシルファの言葉を聞き逃すことをしなかった。
 しまった、確かにイルファさんの前では呼んじゃダメって言ってなかったが、なんかこれはこれでまずいことになる気がする。
「あらあら、シルファちゃんは貴明さんと離れるのが寂しいんですね」
 途端に不自然なくらいにこやかな笑みを浮かべ、イルファさんは両の手を胸の前でぽんと合わせ、嬉しそうにそんなことを言う。
 シルファもシルファでこくりと黙ったまま頷いて、その言葉を肯定している。
「貴明さん、シルファちゃんもこう言ってることですし、一緒に帰りませんか?」
「いや、帰るといわれても俺の家はここだから……」
 ずずいっと顔を近づけてくるイルファさんから目を逸らし、あせあせと答える。
 だが、横にいたシルファがおずおずと俺の腕にしがみついてくる。
「…………」
 何も言わず、無言で俺をじっと見つめるシルファ。
 しかし、その目は俺に来て欲しいと雄弁に訴えていた。
 思わず心が揺らいでしまう。
 これまで何度も経験してきたイルファさんのお願いやミルファのわがままと違い、シルファのおねだりに対してはまだ対処する術を持っていなかった。
 ……これはどうしたら。
 頭を悩ませているところに、イルファさんの一言が降り注ぐ。
「お願いします、貴明さん。とりあえずは今日だけでもいいので、ぜひ一緒にいらしてください」
 う、今日だけなら……いいかな?
 後々考えたらこれもしっかりとイルファさんの思う壺だったのだろうが、追い詰められていた俺にはとてもありがたい妥協案に思え、ついつい飛びついてしまう。
「まあ、今日だけなら」
「ありがとうございます、貴明さん」
「パパ」
 大喜びのイルファさんとシルファ。
 こうして、なぜか既にイルファさんが用意していた着替えなどを持って、俺は二人と一緒に姫百合宅へと赴くことになる。
 もしかしたら、こうやってずるずると流されてるうちに、いつか本当に珊瑚ちゃんたちと一緒に暮らすことになったりして……。
「いや、まさかね。はは……」
 そんなバカなと自分の考えを笑い飛ばそうとしたが、なぜか乾いた笑いしか出てこなかった。
 少しだけ、自分の先行きが不安に思えた。

 

end