「あら、じゃあ今日転入してきたばかりなのね」
「はい」
 既にお馴染みとなった屋上での昼食会。
 本日はいつものメンバーにゲストの草壁さんを迎えていた。
 草壁さんも一緒というのは大歓迎なのだが、先ほどからタマ姉があれこれと草壁さんに話しかけていて、俺はちっとも会話することが出来ず、先ほどから黙々と箸を勧めている。
 ちょっとわびしい。
「いいなータカくん。このみのクラスにも転校生来ないかなぁ」
「このみはまだ入学したばかりでしょ。周りみんなが転校生みたいなものじゃない」
「えへー。そうだったよー」
 それを言うならタマ姉の方こそ真性の転入生では、と思ったが、下手に藪をつつくものではないと思いとどまり、そのまま会話を一歩引いて眺めておくだけにする。
 今はこれ以上厄介ごとを背負いたくはない。
 何せ……。
「なーにが飲み物買ってくる、だよ。大人しい顔して一人だけ抜け駆けしやがって。貴明、お前金輪際女が苦手とか言うんじゃねーぞ」
 もう一人の幼馴染がさっきからずっとこの調子だったのだ。


 運命の続き


 女の子三人でわいわいと盛り上がる輪から外れ、俺自身は黙々と食事をしているのだが、その隣では雄二が延々とクレームを飛ばしてきている。
 おかげで食事に徹することもかなわない。
「くそっ、親友だと信じていたのに」
「別に抜け駆けとかじゃないって言ってるだろ。自販機の前でたまたま会っただけで」
「あら、その割には一緒にお昼を食べるとか言ってたじゃない」
「んぐっ」
「なぁにぃ!? 吐けっ、貴明っ。いったいどんな手を使ってそんな急接近を果たしたんだっ」
 雄二の追及をかわそうとするも、タマ姉の厳しいツッコミでなおさらヒートアップしてしまう。
 これはやっぱり……。
「うん? なぁにタカ坊?」
 ちらりと盗み見たタマ姉の顔はこれでもかってくらい笑顔。
 ただ、やたらと作り物めいた笑みがすごく怖い。
 どうやら、俺がお昼をすっぽかすつもりだったことに内心ご立腹の様子。
 こちらが悪いのだと自覚のある俺にできるのは、大人しくタマ姉の怒りが収まるのを待つばかり。
「あ、これすごくおいしいです」
 幼馴染集団の水面下の諍いなど露知らず、草壁さんはご機嫌そうにタマ姉のお弁当に舌鼓を打っていた。
「お口にあったかしら?」
「はい、すごく。貴明さんのお姉さん、すごくお料理が上手なんですね」
「ふふ、どうもありがとう」
「ちょっと待った!」
 草壁さんに引っ張られて和やかムードに入りかけたそのとき、突然雄二が声高に待ったをかける。
「今『貴明さん』と言わなかったか?」
「……言いましたけど?」
「言ってたわね」
「言ってたであります」
 不思議そうに首を傾ける草壁さん、何を今さらとばかりの顔をしたタマ姉、そして多分特に何も考えていないこのみの三者異口同音に返事をする。
 それを聞いた雄二はますます声を張り上げ、その場に立ち上がり俺に向ってビシッと指差し、物凄い形相で叫びつけてきた。
「なんで今日転校してきたばかりの美少女が! 貴明のことを『貴明さぁん』などと甘い呼び方をしているのか! 納得いく説明をしろ!」
「その七色の声色は気色悪いからやめてくれ」
 なんでそういう変なところばかりに特化しているんだろうこの男は。
「そうね、そういえばまだきちんと聞いてなかったわ」
 タマ姉まで俺のほうに向き直ると、さあ、お話なさいと言わんばかりにじっと目を見てくる。
「タカ坊が転校初日の女の子にちょっかい出すような手の早い子になっちゃったんだとしたら、姉として放っておけないわね」
「そうだそうだ、このムッツリ野郎。俺を差し置いてかわいい彼女をゲットしようなんざ例え神が許そうともってあだだだだだ割れる割れる割れる!」
「あなたはちょっと黙ってなさい。そもそも、もし本当にタカ坊がそんな節度のない男になってしまったのだとしたら、雄二、あなたに悪影響を与えられたに決まってるわ」
 ぎりぎりと音が聞こえてきそうなほど強烈なアイアンクローを雄二に食らわせながら、タマ姉は改めて俺に向き直る。
 俺たちはもう見慣れたものだが、草壁さんは初めて見るショッキングな光景に驚きを隠せない様子でいた。
 いや、今はそれよりも。
「誤解だってば。なんで姉弟揃ってすぐそっちの方に話を持っていこうとするんだよ。だいたい、手を出すとか出さないとか、ただ普通に会話してただけじゃないか」
「でも、タカ坊って女の子苦手なんでしょ」
「ちょ、ちょっとタマ姉!」
 そんな俺の秘密を草壁さんの前で暴露しないでくれよ!
 叫びかけた声をグッと呑み込み、一つ深呼吸をした後きちんと話す。
「言っておくけど、草壁さんとは今日初めて会うってわけじゃないよ」
 タマ姉とこのみの窺うような視線が草壁さんに集中する。
 二人の『そうなの?』という無言の質問に、草壁さんもにこりと笑って頷いて答えて見せた。
「小学校の頃の同級生なんだよ。雄二だって同じクラスだったことがあるし」
 まあ、それ以降にもつい最近この学校で顔を合わせる機会に恵まれていたわけだが、それを言うとややこしくなるだけなので黙っておく。
「なにぃ!?」
 いつの間にかタマ姉の手の中で完全に沈黙してしまっていた雄二も、驚きのあまり復活を果たす。
 タマ姉の手から脱すると、物凄い勢いで俺に詰め寄ってくる。
「おい貴明、それは本当なのか!?」
「ああ、だからお前も草壁さんのことは知ってるはずだ。ただ忘れてるだけで」
「くっ、そんなバカな……。この俺が女の子のことで貴明に遅れを取るなんて」
 そういう言い方をされると俺が雄二よりも女好きみたいに聞こえるからやめて欲しい。
 ひどく不名誉だ。
「あの頃は高城という名字でしたから」
 そっと添えるように草壁さんが説明する。
「昔のお友達が帰ってきたってこと?」
「まあな。このみはさすがに学年も違ったから知ってるわけないと思うけど」
「じゃあタカくん、一目で優季さんのことわかったんだ。すごいねー」
「ま、まあな」
 わずかに言葉が濁ってしまう。
 よく嘘が下手といわれるが、きっとこういうところがそうなのだろう。
 事情を知っている草壁さんだけはくすくすと笑っている。
「と、とにかくそういうわけ」
「でもよ、知り合いだったってのはわかったけど、名前で呼び合う理由にはなってないんじゃねぇか?」
 ようやく事態が収拾の兆しを見せたと思ったというのに、雄二のやつがこういうことばかり鋭い洞察力を発揮させる。
 第一俺は草壁さんを名前で呼んでなどいない。
 が、そんなことで揚げ足を取ったとしても、雄二にとって重要なのは俺が草壁さんから名前で呼ばれているということなのだろうから、大した問題ではないと一蹴されるに決まっている。
「ちっ、上手いことやりやがって。昔の同級生と懐かしの再会。確かにこの上ないシチュエーションだぜ。くっそー、条件は俺も同じだったのに」
 前提条件はまったく違うぞといってやりたかったが、きっと通じないからやめておく。
 草壁さんにもあれは放っといて昼飯の続きにしようと声をかけようとしたとき、事態は予想外の展開を迎えた。
「貴明さんは運命の人なんです」
 そう、あまりにも予想外。
 その発言に俺はもちろん、タマ姉も雄二も、このみさえも箸を止めて固まっている。
「うん……めい?」
 辛うじて言葉を発することが出来たタマ姉に、草壁さんは滑らかな口調で思い出話を語ってくれる。
「はい、貴明さんとは幼い頃に将来を誓い合った仲ですから」
 さすがのタマ姉も言葉を失う。
 だが草壁さんはそんなタマ姉の様子に気付くことなく、瞳を閉じてほのかに頬を染め、まるで昨日夢に見たことを口ずさむように言葉を続ける。
「貴明さんは私に『河野』の名前をくれるって言ってくれました。ですから、貴明さんは『貴明さん』なんです」
 なるほどなぁ、昔は河野くんって呼ばれてたのにいつの間にか名前で呼ばれるようになっていたのはそういうわけだったのか。
 などと現実逃避じみた納得をしている場合じゃない。
 幼馴染三人が真偽の程を問いただすように俺の方を向いてくる。
 草壁さんは嘘を言っていない。
 ああ、嘘は一つもないさ。
 そんなことをこの場で言う勇気などとてもなく、俺はついと後ろに視線を逸らす。
 ただ一人、草壁さんだけが両手を組んではにかむように笑っている。
「……」
 なんなんだろうねこの空気。
 いたたまれない雰囲気の中に身を置く辛さを噛み締めていると、雄二がぽんぽんと俺の肩を叩いてくる。
「なんだよ?」
 どういうつもりか計りかねて尋ねてみても、雄二は何も言わずすっと立ち上がると、そのまますたすたと歩いていってしまう。
 最後に背を向けたままビシッと親指を立てて見せると、そのまま校舎の中へと去っていった。
「タカくん、結婚しちゃうんだ」
「タカ坊、いい加減な気持ちでお付き合いしちゃダメよ」
 タマ姉とこのみも言うだけ言うと、後は何事もなかったように食事を再開する。
 ……変に理解がありすぎると言うのもそれはそれですごく嫌なものだよな。
 結局、最後まで草壁さんだけがマイペースにニコニコしていた昼放課だった。

 

「ったく、タマ姉もこのみもなんなんだよあれ」
「私たちを祝福してくれたんですよ」
 昼食を終えてタマ姉たちと別れた後、つい文句を零してしまう俺を草壁さんが嗜める。
 あんな生暖かい視線で見守られるのもあまり嬉しくない。
「……って、それはわがままが過ぎるってもんか」
 今はとりあえず過剰な干渉をせずにいてくれたことを感謝しよう。
 ……鑑賞はされた気がするけどな。
「素敵なお姉さんと妹さんでしたね」
「それはまあ……うん、俺もそう思うかな」
 なんだかんだと言っても、タマ姉もこのみも、ついでに雄二も、みんな大切な存在なのは確かだ。
 あくまで幼馴染ではあるが、俺たちの心の関係はきっと兄弟のそれに等しいと言ってもきっと過言ではないと思う。
「よ、二人揃ってお帰りか」
「雄二」
 教室に戻るとそこには既に雄二がいて、俺と草壁さんに気付くと軽く片手を上げて声をかけてきた。
「お前なんで途中でどっか行っちゃったんだよ」
「いやぁ、お前と草壁さんの邪魔をしないようにという俺のささやかな心配りだ」
「ば、ばか、何言ってんだ!」
 教室のど真ん中でそんないかにもな言い方しやがって。
「おっと、草壁さんじゃなくて河野さんって呼んだほうがよかったか?」
 俺の言わんとすることなどわかっているだろうに、わざととしか思えないようなとぼけた切り返しをされてしまう。
 こいつは妬むか煽るか冷やかすかしかできないのかと、今ばかりは見慣れた雄二の笑い顔が憎らしい。
「そんな……まだ少し早いです。今はまだ草壁でいいですよ」
「…………」
「…………」
 えーと。
 なんかそれはちょっと違うんじゃないかな草壁さん。
 だが嬉恥ずかしそうに頬を朱に染めて口元に手をやる草壁さんに、とてもそんなことを言える気がしない。
 雄二もさすがにこの草壁さんの開き直りっぷりにはあてが外れたのか、言葉を失っている。
「あー、その、なんだ」
 たっぷり黙り込むこと数十秒、言うべきことを探すようにして言葉を搾り出した雄二は、俺と草壁さんに向って似合わないくらい爽やかな笑顔を向け、力強くこう言った
「お幸せにっ!」
 だから違う!
 そう言い返してやろうとするよりも早く、教室のあちこちからぱちぱちと拍手が巻き起こる。
「お似合いだぞ」
「河野ー、草壁さんを泣かすなよ!」
「草壁さんおめでとー」
 みんな口々に祝いの言葉を口にしながら、先ほどの雄二と同種の微笑を浮かべている。
 ……クラス中に会話が駄々漏れだったらしいです。
 新学期が始まって一ヶ月弱、おかげさまで新しいクラスが今一つに纏まりました。
 変なところでばっかり団結しやがって。
 こうして、草壁さんの転校初日と俺の復学初日、初日同士のうちに俺たち二人はクラス公認の仲となった。
 嬉しくないわけではないが、酷く複雑な心境だったことはここに明言しておこう。
「あ、ありがとうございます。ありがとうございます」
 草壁さんは照れたようにわずかに俯き口元を手で押さえると、はにかんだ笑みを浮かべながらにクラスのみんなの拍手にぺこぺことお辞儀を返す。
 そんな草壁さんの仕草が教室中の盛り上がりを一層煽り、俺の体温は急上昇していく。
 同時にぐつぐつと沸き立つ熱が、俺の思考の『冷静』という名の抑止機構を煮立てていき、次第に自分の中の躊躇という感情が薄れていく。
 ……もしかしたらこうなることも草壁さんと再会したときからの運命だったのだろうか。
 煮立った頭でぼんやりとそんなことを考える。
 なら、もうちょっとくらい享受してしまっても……いいよな?
 後にして思えば、その場の勢いとは恐ろしいものだ。
 開き直った俺は、まだ選挙運動のように頭を下げ続けていた草壁さんの手を取った。
「たっ、貴明さん!?」
 驚いて俺の顔を見上げる草壁さんの柔らかい手を、クラス中の視線が集まる中ぎゅっと握り締める。
 途端に、クラス中から『おおー』とざわめきが起こった。
 俺は構わずそのまま手を引いて歩き出す。
「お、おい貴明、もう授業始まるぞ」
 後ろから声をかけてきた雄二に振り返り、親指をグッと立てて見せると。
「あとよろしく」
 そう一言だけ残し、扉を閉めて教室を後にした。
 シンとしていた教室は、俺と草壁さんが階段を上る頃になってようやく沈黙の呪縛から解放されたかのようにより一層激しいどよめきが巻き起こっていた。
「す、すごいことになっちゃってますね」
 既にかなり離れているというのに漏れ聞こえてくる教室のざわめきに、草壁さんは驚いた声を上げる。
「ごめん、俺もちょっと……いや、かなり後悔してるかも」
 だが、もうやってしまったのだ。
 このまま突っ切ってしまえ。
 腹を決め、ずっと掴んでいた草壁さんの手を一度離して改めて手を差し出す。
「少しだけ二人で話せないかな」
 午前はクラスの女子、午後はタマ姉たちがいたために今日はきちんと話せたのはホームルームの前のわずかな時間だけだった。
 だから、その場の勢いだけとはいえせっかく出来たチャンスを無駄にしたくなかった。
 しかし、草壁さんの返事は俺の予想を裏切った。
「……嫌です」
「えっ、だっ、ダメ……?」
 予想外のNOの返事に本気で凹みかけていると、草壁さんはさらに言葉を続ける。
「少しだけなんて……嫌です」
 そうして恥ずかしそうに目を伏せ、俺の差し出していた手をそっと取ってくれる。
「いっぱいいっぱい、お話したい」
「……でも、それだと午後の授業全部サボりになっちゃうよ」
 無理やり5時間目をサボらせた俺が言うようなセリフではないかもしれないけどさ。
 俺の念押しに草壁さんはしばしの間考え込むように口元に人差し指を当てる。
 答えが出たのか、自分の手を乗せていた俺の手をぎゅっと握ると、これまでにないくらいのとびっきりの笑顔でこう言った。
「大丈夫です。だって私たち、公認カップルですから」
 何の根拠にもなっていない答え。
 でも、その不思議なまでの自信満々な返答は、なぜかきっとその通りなんだと思わされる何かがあった。
 もしかしたら、俺もまた心のどこかで同じような無根拠な理由を抱いていて、それを糧にして教室を飛び出したのかもしれない。

 普段の俺では絶対に出来ない大胆な行い。
 それをさせた何かがあるというのなら、それはきっと運命という言葉の後押し。

 だから、そうだね、とだけ短く答えた。

 たった一言きり。
 だが、草壁さんを満足させるには十分な答え。

 握った手を放すことなく、草壁さんは急かすように俺の腕を引いて屋上へと上がっていった。

 

end