「ホールドアップ」
 すぐ目の前の瑠璃ちゃんの背中に突きつけられる銃口。
 突きつけているのは、他でもないこの俺だ。
「あ……」
 瑠璃ちゃんは一声漏らすと、負けを認めるようにがくりと腕を垂らし、力の抜けたその手から落ちた銃が、からからと教室の床を滑り転がる。
 瑠璃ちゃんから唐突に吹っかけられた銃撃戦、俺は瑠璃ちゃんに危害を加えずに勝つため、クマ吉の協力を得て現在の状況にまで持ち込こむことに成功した。
 いわゆる『詰み』というやつだ。
 とは言っても得物は所詮オモチャの銃、お構いなしに反撃してくる可能性もあり、そうなればこちらはどうしようもないというのが唯一の懸念だったが、どうやらそれも杞憂だったらしく、無事決着はついた。
 とりあえずは一安心と、ホッと胸をなでおろす。
 いくらオモチャとはいえ人の、それも年下の女の子に銃を突きつけているのはあまりいい気分もしない。
 何より、構図が最悪だ。
 今誰かがこの姿を見たら、身の破滅だよな、なんてことを考えながら、瑠璃ちゃんの背中に突きつけている銃を下ろそうと……。

 ガラッ

 したところで、教室のドアが開く音が響く。
「あれ、河野くん? まだ残って……た……?」
「……こ、小牧」
 ギギギと錆付いたロボットみたいに首を回し、音のした方へと顔を向けると、そこには我らがクラスの委員ちょ、小牧愛佳その人が立っていた。
 いつもは垂れ目で人当たりのいい笑顔を浮かべているその顔も、今だけは驚愕の表情が張り付いている。
「こ、河野くん……お、女の子に、銃を……」
「ちがっ、これは……勝負で、かっ、勘違いなんだ!」
 お互い言葉の使い方を忘れたかのような片言の会話。
 当然、意思の疎通は期待できそうにない。
 落ち着け俺、きちんと最初から説明すれば大丈夫だ、何も疚しいことはないんだから。
 そう思えば思うほど焦りは増してきてしまい、頭の中で文章が浮かんでは散っていき、きちんとした言葉が出なくなる。
「その、これはだな、お、おもちゃで」
 実物を見せて納得してもらおうと歩み寄ると、小牧はじりじりと同じだけの距離を後ずさる。
「ちょっと待って、小牧は何か重大な勘違いをしている」
 さらに一歩、今までよりも大きな歩幅で踏み出すと、それを引き金に小牧は弾丸のごとくダッっと走り出してしまう。
「まっ、待って!」
「こっ、殺さないでぇ〜〜」
 物騒なことを叫びながら走り去った小牧を追って急いで教室から飛び出すも、既に小牧の姿は廊下の果て。
 とても追いつけそうにない距離だった。
「…………」
 身の破滅。
 脳裏に浮かんだ言葉に、がくりと膝をつく。
 なんてことだ、瑠璃ちゃんの嫌がらせなど比じゃないくらい、精神的ダメージを被った。
 これが試合に勝って勝負に負けるというやつなんだろうか。
「貴明ぃ?」
 絶望に浸っていると、さすがの瑠璃ちゃんも心配そうに声をかけてくるが、今の俺にはとても返事をする気力はない。
 次にぽんぽんと、床についている手に何かが触れる感触。
 床を見つめていた視線を少しだけずらしてみると、クマ吉が慰めるように俺の手を叩いている。
「ふふ……クマ吉もごめんな……、せっかく協力してくれたのに、かえって最悪の結果になっちゃったよ……」
 力ない言葉を否定するかのようにクマ吉はブンブンと首を振ると、俺の手を体全身で掴むとぐいぐいと引っ張ってくる。
「……クマ吉?」
 俺をどこかに連れて行こうとしているのだろうか。
「貴明、みっちゃんがついて来いって」
 瑠璃ちゃんの通訳にこくこくと大きく頷くと、クマ吉は任せておけと言わんばかりに自分の胸を叩いた。


 Project"K"


「と、いうわけだったんだ」
「そうだったんですか……」
 パソコンの画面に流れる動画、それは先ほどの俺と瑠璃ちゃんの対決の決着から小牧の逃走までの一部始終だった。
 あれからクマ吉に腕を引かれ(というか、クマ吉の先導にしたがって)コンピュータ室へと行った。
 クマ吉はそこでまだパソコンに向かって作業をしていた珊瑚ちゃんに身振り手振りのジェスチャーで何かを伝えたかと思うと、こうやってクマ吉とパソコンを繋いで、その記憶媒体からクマ吉の見たもの聞いたものを映像化してくれたというわけだ。
 百の言葉を費やすよりもよほど効果的な証拠のおかげで光明の差した俺はすぐさまコンピュータ室を飛び出し、学校中を探し回って運よくまだいた小牧を捕縛、こうしてここまで連れてきて見事無実を証明することに成功した。
 ……よくよく冷静になってみると、小牧をここまで連れてくる経緯が思い切り犯罪チックな気もするが、きっと気のせいだろう、うん。
「でもびっくりしちゃった。教室に入るといきなり河野くんが女の子に銃をつきつけてるんだもん」
「普通は驚くよ。俺だってあの場面で目撃者だったら犯罪現場かと思うし」
 まさにそう危惧してたとこにジャストタイミングで小牧がやってきたわけだが。
 なんというか、そういうタイミングの良さ(むしろ悪さ?)が実に小牧らしい。
「それでも……ごめんなさい、あたしったら失礼なこと言っちゃって」
「いや、そんなこと」
 しゅんとうなだれて、小牧は心底申し訳なさそうに謝罪を述べるが、アレを見たら誰だってそう思うのは仕方がないことだろう。
 小牧は決して悪くはない。
 そんな風に頭を下げられては、逆にいたたまれなくなり、ついこちらも謝ってしまう。
 結局、水飲み鳥のごとく頭を下げあった末に、お互いあまり気にしないようにということでひとまずの決着をつけ、帰り行く小牧を見送った。
「ふぅ」
 最悪の結末を回避することが出来たことに、ホッと胸をなでおろす。
 あの現場に小牧がやってきてしまったのは運が悪かったが、クマ吉の記憶媒体の存在と帰ってしまう前の小牧を捕まえられたのは幸運だったといえるだろう。
 まあ、結局のところ差し引きゼロなわけだけど。
「ありがとう珊瑚ちゃん。おかげで犯罪者にならずにすんだよ」
 これで一日でも経ってしまっていればあの小牧のことだ、例え本人にその気がなくともうっかり口を滑らせてしまう可能性は非常に高い。
 そうなれば不名誉な噂が学校中に蔓延してしまっていたかもしれない。
「これくらいなんともあらへんよ。それにしても、瑠璃ちゃんええなぁ。貴明と戦争ごっこして遊んでもらって」
 クマ吉の記録を見た珊瑚ちゃんは、なにやらピントのずれたことを言っている。
 ごっこというか、あれ……瑠璃ちゃんは本気で俺を狙ってたよなぁ。
 だけど勘違いしているのならば好都合だ。
 瑠璃ちゃんが珊瑚ちゃんのために喧嘩を吹っかけたなんてこと、知らないままでいられるならばそのほうが方がいいに決まっている。
「はは、まあね」
 当たり障りのない返答でお茶を濁してこの話題はおしまいにしてしまおう。
 そのつもりだったのだが、あいにく珊瑚ちゃんの思考回路は俺の常識で測れるような代物ではなかった。
「瑠璃ちゃんも、ほんとは貴明のこと、すきすきーやったんやなぁ」
 恐るべきは珊瑚ちゃんの究極的なポジティブシンキング。
「ちゃうー! ウチ貴明なんか嫌いやもん!」
「瑠璃ちゃんは照れ屋さんやなぁ」
「照れてるんとちゃうー!」
「ええなぁ、二人でらぶらぶで鉄砲ごっこ」
「さんちゃん、人の話聞いてる?」
「でもな、今度やるときはウチも誘ってな? 仲間はずれかっこ悪いで」
 必死で珊瑚ちゃんに食い下がる瑠璃ちゃんにここ数日の自分を重ね合わせ、こうなってしまった珊瑚ちゃんにはもはや何を言っても通じないであろうことをうっすらと感じていた。
 果たしてこの誤解を正せる日は来るのだろうか。
 ……雄二がタマ姉に下克上を果たすくらいに難しいかもしれない。
「はぁ、先行き不安だ……」
 思わず弱音を零してしまうと、ふと何かが手に触れる感触があった。
 見ると、クマ吉が先ほどのようにまたぽんぽんと叩いている。
「そっか、励ましてくれてるのか」
 こくこく、と頷くクマ吉。
 どうやら正解だったらしい。
 これくらいの簡単なやり取りならば、俺にもクマ吉との意思疎通が可能のようだ。
「そういえば、クマ吉もありがとな」
 俺の無実を証明する映像を引き出してくれたのは珊瑚ちゃんだが、それを記録していたのは他でもないクマ吉だ。
 他にも瑠璃ちゃんとの勝負でも協力してもらっていた。
「今日はお前に助けられてばっかだな」
 心の底から感謝を捧げ、誇らしげに胸を張るクマ吉の頭を撫でてやると、今度は顔に手を当てるようなポーズで頭を振る……いや、これは体をくねらせてるのか?
 ほぼ二頭身のぬいぐるみの微妙な動きを判別するのはなかなか難しいが、なんとなく、照れているのかなという気がした。
「おー、みっちゃんええなぁ。貴明とらぶらぶやー」
 瑠璃ちゃんの言い分を全て照れ隠しの一言で斬って捨てた珊瑚ちゃんが、俺とクマ吉のやり取りに気付いてそんなことを言ってくる。
 うーん、珊瑚ちゃんのらぶらぶの基準がいまいちわからない。
「ん? みっちゃんどうしたん? ……ふんふん、そんで?」
 突然激しく動き出したクマ吉の動きを、珊瑚ちゃんはまるで会話してるみたいに相槌を打ちながら促していく。
 ……いや、ちょっと待て。
 まさかあの激しいブレイクダンスみたいなのもジェスチャーなのか。
 そんでもって、珊瑚ちゃんはあの複雑かつ難解な動きでクマ吉の言いたいことがわかるというのか。
「なるほどなぁ」
 うわ、やっぱり理解してるみたいだ。
「貴明」
「えっ。な、なに?」
 目の前の不思議な光景に驚いているところに、急に名前を呼ばれてさらに驚きが重なる。
「あんな、みっちゃんがな」
 クマ吉がどうしたかと見てみると、今度は俺に向かって難解なボディランゲージで何かを主張しようとしている。
 ようやく簡単な身振り手振りがわかるようになった程度の俺には到底理解できるものではなかったが、ありがたいことにそこに珊瑚ちゃんの同時通訳が挟まれる。
「今日は貴明んちいくー言うてんねん」
「へ? 俺んちって……クマ吉が?」
 唐突といえばこれ以上ないくらい唐突なクマ吉の希望。
 いや、別にぬいぐるみの一つや二つぜんぜん構わないのだが、不安要素がないわけではない。
「でもクマ吉って見た目はこんなんでも、すごい高等なロボットなんだろ? そんなの俺が持ち帰っちゃっても平気なの?」
「それはだいじょぶや」
 俺の心配を跳ね除けるかのように、珊瑚ちゃんは自信満々にVサインを突き出す。
「うーん、でもなぁ」
 いかに生みの親の保障付きとはいえ、不安は消えない。
 もしも緊急事態に陥ったり何かの拍子で壊してしまうようなことがあったらと考えると、おいそれとは頷けない。
「……ん? なんだよクマ吉」
 どうしたものかと悩んでいるところで袖を引っ張られ、見てみるとクマ吉がちょいちょいとパソコン画面を指し示している。
 そこに映る動画が、否応なしに今の俺の立場というものを思い出させてくれた。
「ぐっ」
 そうだった、クマ吉にはでっかい借りがあるんだった。
 クマ吉のおかげで危ういところを切り抜けられたという功績を考えると、それくらい引き受けないわけにはいかない。
「わかったよ。そんなことでいいなら」
「やた〜。やっぱみっちゃんと貴明、らぶらぶやー」
 別にらぶらぶってわけではないと思うのだが、両手を挙げて喜びをあらわにする珊瑚ちゃんには恐らく何を言っても通じまい。
 見ればクマ吉も同じような格好をしてぴょこぴょこと飛び跳ねている。
 この微笑ましい光景にわざわざ水を差すこともないだろう。
「みっちゃんが貴明んち行けば、データが取れてウチも大助かりや〜。貴明、ありがとな〜」
「データって何の?」
「ちょうどな、ウチがいないところでのみっちゃんの行動パターンや反応を調べなあかんかったんや。ホントなら研究所でやるはずやったけど、貴明といっしょならそっちのがええ〜」
 わかるような、わからないような。
 要するに、クマ吉を家に連れてけば、珊瑚ちゃんのやっている何かの役にも立てるということか。
「よし、じゃあクマ吉、よろしくな」
 持ち上げようと伸ばした手にしがみつくと、クマ吉はそのまま腕を伝って頭の上までよじ登ってくる。
「ったく、いつの間にやらそこが定位置になっちゃってるな、お前」
 頭の上でもそもそと動く感触……、クマ吉が頷いているらしい。
「ほな、帰ろー」
 いつの間にか変える支度を済ませていたらしい珊瑚ちゃんは、言うや否やがばっと俺の右腕に絡みついてくると、そのままぐいぐいと引っ張ってゆく。
 いい加減いつものことと言えばそうなのだが、やはりこればかりは慣れられない。
 さり気なく組まれている腕を外そうと動かしてみるが、がっしりと抱きついている珊瑚ちゃんがその程度で外れることはなかった。
「ひゃんっ、貴明、くすぐったいよ〜」
「さんちゃん、あかん言うてるやん。そんなんに抱きついたら、えっちぃことされるよ!」
「貴明ならええよ」
「あかんー。こらぁ、貴明っ!さんちゃんから離れろー!」
 出来ればとっくにやっている。
 しかし瑠璃ちゃんはそんな俺の心の内など露知らず、珊瑚ちゃんとは逆の腕を引っつかむと、文字通り思い切り引っ張る。
「うわっ」
 その力に倒れそうになるが、ここで俺が倒れれば引っ付いている珊瑚ちゃんはもちろん、倒れこむ方向にいる瑠璃ちゃんも巻き込んでしまう。
 それはまずいとありったけの力を足に込め、なんとか踏みとどまる。
「はーなーれーろー」
「ちょっ、ちょっと瑠璃ちゃん、危ないってば」
「瑠璃ちゃんと貴明、ほんまらぶらぶやなぁ」
 こうして、右腕に珊瑚ちゃん、左腕に瑠璃ちゃん、そして頭にはクマ吉と異様なトライアングルを形成したまま、この日はいつもの3倍の労力を費やして家路を辿るのだった。

 

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