「草壁優季です。よろしくお願いします」
 壇上で自己紹介をする草壁さんを自分の席から眺める。
 その現実味のある光景に、じんわりと実感がこみ上げてくる。
 毎夜学校で出会っていた彼女は、幻想と現実の境界線を越えてこちら側へとやってきたのだ。
 ふと、つい先ほどの光景が頭をよぎり、顔が熱くなっていく。
 草壁優季という存在が夢でも幻でもないと教えてくれた、あの腕の中の感触が蘇る。
 感極まったせいだろう、我ながら大胆なことをしてしまった。
「それでは席は一番後ろに」
「はい」
 草壁さんは、担任の指示に従い転校生の指定席と言ってもいいくらいお決まりの最後尾席に移動する。
 途中、通りすがりにちらりとこちらを見やる草壁さんは、俺と目が合うとにこりと微笑みかけてきた。
 同じクラスだったっていうのも、きっと彼女の言わせればこの小さな偶然も四度目の運命的出会いの一部なんだろう。


 小さな運命


 四時間目が終わり、昼放課となった。
 草壁さんの席の周りには放課になるたびに何人かのクラスの女子が集まっており、今も席の周りに数人の姿が見える。
 きっと転校生の誰もが通る道、質問責めという通過儀礼の真っ最中なのだろう。
 耳に届く女子たちの声の中時折混じる草壁さんの声につい反応してしまう。
 俺だって聞きたいことがいろいろあるし、できることならばすぐにでも話したい。
 とはいえ、あの女子の壁を押しのけて話しかけるなんて真似は出来るはずもなく、昼飯を誘いにやってきた幼馴染の相手をしているわけだが。
「くー、いいなぁ彼女。あの清楚なところがたまねぇ」
「そうだな」
 出来る限り素っ気無く返事をするも、どうしても雄二の視線の先、草壁さんへと意識が向いてしまう。
「貴明もラッキーだな、復学早々あんな美少女が同じクラスに転校なんて。もしかしたら縁があったりしてな」
「まあな」
 縁はきっとあるだろうさ。
 思い出される真夜中の学校で過ごした二人の時間。
 さらに過去へと遡れば小学校の頃のクラスメイトで、あんな約束までした間柄だ。
 ……そういえば、雄二も草壁さんと同じクラスだったことがあるはずだよな。
「雄二、お前高城さん覚えてないか?」
「高城? 誰だそれ。そんなやついたっけか?」
「いや、覚えてないならいいんだ」
 まあ無理もないか。
 もう何年も前の話なのだし、俺だって草壁さんと何度も顔を合わせながらあの流星雨の夜までずっと思い出せずにいたのだから。
「あの流れるような黒髪、メイド服が似合いそうだよなぁ」
 雄二のその発言に、ちょっとだけぎくりとした。
 思い出される真夜中のお茶会。
 あのとき草壁さんは『ちょっとはメイドさんっぽいと思います?』とか言ってたよな……。
「なぁ雄二、つかぬことを聞くけど、ミルクティーはミルクと紅茶、どっちから入れる?」
「はぁ? 何言ってんだお前。ミルクティーなんて紅茶にミルク入れるもんだろ。ま、胃に入っちまえばどっちも同じだろうけどな」
「ああ、そうだな。まったくもって雄二の言うとおりだ」
 とても安心した。
 紅茶に一家言を持つ草壁さん相手にこの様子なら、多分心配するような事態にはならないだろう。
「おい、貴明。あの子こっちを見てるぞ。もしかして俺に気があるのか!?」
「その勘違いはやめておけ。ちょっと危ないぞ」
 一人勝手に舞い上がる雄二を嗜めながら俺も草壁さんの席をちらりと見ると、本当にこちらを見ていたらしい草壁さんと視線が合う。
 それに気付いた草壁さんはこちらに向かってにこりと笑いかけてくれるが、すぐに周りの女子に呼びかけられ慌しくそちらの方へ顔を向ける。
 もし良かったら一緒にお昼でもと思ったが、あの人気っぷりからするとちょっと難しそうだな。
 転校初日な上に人当たりもよく話しかけやすいとなればそれも仕方ないか。
「雄二、昼飯いこう」
「っと、そうだったそうだった。つい麗しの転校生に見とれちまってたぜ」
「雄二……お前よくそういうことを真顔で言えるな」
「ばっか、美しいものを美しいと言うのは当然だっ。むしろ言わなきゃ失礼に当たるってもんだぜ」
「たまにすごいよなお前」
 昔から雄二のやつは良くも悪くもストレートで、そういうところが羨ましく思える時もある。
 決して真似をしたくないけれど。
「それより急ごう。あんまり遅くなるとタマ姉がうるさいぞ」
「ちっ、そうだった。ったく、あの鬼姉貴、学校でまで俺たちの行動を縛りやがって。何様だっての」
「そう言うなよ。タマ姉のおかげで昼飯助かってるんだから」
「まあそうなんだけどよ……っておい、待てよ貴明。置いてくなって」
 さっさと教室を後にする俺と、それを追いかけてくる雄二。
 階段に差し掛かり、階下へと向かおうとする俺に雄二が声をかけてきた。
「あん、どこ行くんだよ」
「自販機。飲み物買ってくるから雄二は先行っててくれ」
「早く来いよ。俺一人じゃ姉貴の相手はつとまんねぇ」
「このみに助けを求めろ」
「ばーか、チビすけは姉貴寄りじゃねぇか」
 軽口を投げ合い雄二と別れ、階段を駆け下りる。
 もちろん雄二に言われるまでもなく、俺も自分の空腹を満たしたいのだし、早いところ屋上へ向かうつもりだ。
 でもその前に、喉の渇きを潤したい欲求と、もう一つ、仄かな期待に後押しされて、自販機へと足が向いてしまったのだ。
「……まあ、現実はこんなものだよな」
 今朝方草壁さんと『四度目の運命的出会い』を果たしたこの場所に来ればもしかしたら……。
 俺にとってここはある種の運命的な場所にも思えたからこそ、そんならしくもない夢見がちな考えが浮かんだのだろう。
 だが、何度も俺と草壁さんを引き合わせてくれたこの自販機も、そう都合よくいつもいつも物語のような展開を演出してくれるわけではなさそうだ。
 すぐに頭を現実の方に切り替え、百円硬貨を投入口へと入れる。
「さて、と」
 何を飲もうか。
 エスプレッソとカフェオレの間で視線をさまよわせていると、後ろから声が聞こえてくる。
「ホットの紅茶がいいな」
「ホットの紅茶、と」
 反射的にその声にしたがってホットの紅茶のボタンを押す。
「ん?」
 ハッと気付いたときには、ガチャンと下から紅茶の缶が出てきている。
 あぁ、せっかくエスプレッソに決めたところだったのに。
 いや、そうじゃなくって、今の声は……。
 振り向いた先にはまさに思っていたとおりの人がそこにいた。
「草壁さん」
「こんにちは、貴明さん」
 さっきまで同じ教室にいたのにそんな風に挨拶してくる。
 そんなところがいかにも草壁さんらしい。
 後ろ手に組んで、にこにことこちらを見ている。
「またここで会えるなんて、もしかしてここは私と貴明さんの運命的な場所なのかもしれませんね」
「それ、実は俺もさっき思ってた」
「ますます運命的です」
「でも俺、ここに来れば草壁さんに会えるかなって思って来たから、運命ってわけでもないかもしれないよ」
「私も貴明さんがいるかもと思っていました」
「だったらますます」
 運命とは言えないんじゃないか、そう続けようとした言葉に草壁さんの言葉が被せされる。
「いいえ」
 目を瞑り両手を胸の前で組むと、詠うように言葉を紡ぐ。
「二人が同じことを考えて、同じ場所へとやってくる。それって運命的だと思いませんか?」
 私たち運命的な二人なんですよ、と悪戯っぽく笑う草壁さんに、俺も笑い返す。
 突き詰めれば小さな偶然と必然、運命というには少々チープかもしれない。
 でも……うん、少しだけ草壁さんの考え方にあやかってみれば、二人はきっと特別なのだから、それを運命的と呼ぶのも悪くない。
「そうだね」
 だからこの肯定は、俺の素直な気持ちだった。
「はい、ホット紅茶。もう冷めてると思うよ」
 自販機から取り出した紅茶の缶を草壁さんに手渡す。
「ありがとうございます」
「草壁さんはお昼はどうするの?」
 てっきりクラスの女子たちと一緒に食べるのかと思っていたけど。
 見たところ一人のようだけど……。
「どうしましょう」
「どうしましょうって言われても」
 それを俺が聞いているわけなんだけど。
 どう答えたもんかと悩んでいると、草壁さんはじっと上目遣いで俺の顔を覗き込んで、わずかに頬を赤らめながら。
「だって……貴明さんに会いたかったんですもの」
 なんて言ってくるものだから、嬉しいと恥ずかしさが入り混じったような感情が沸き上がってきてしまう。
 それがそのまま顔に出てしまっている気がして草壁さんを直視できず、視線を泳がしながらなんて言ったものかと再び頭を悩ませる。
 ……いや、悩むまでもないじゃないか。
「よかったら、一緒にどうかな?」
「いいんですか? 嬉しいな」
 本当に嬉しそうににこやかに了承してくれる草壁さん。
 ……タマ姉には後で謝っておこう。雄二、悪いな、このみとタマ姉は任せたぞ。
 既に屋上で弁当をつついているであろう幼馴染たちに心の中で謝罪する。
「貴明さん、せっかく一緒のクラスになったのにちっともお話してくれないから、もしかしてイジワルしてるのかなって思ってたんですよ?」
「えっ。いやまさか」
 そんな風に思われていたとは驚きだ。
 そりゃ俺だって話しかけたかったけどさ、草壁さんの周りには常に数人の女子がいたもんだから。
「さっきだって、お昼を一緒にって思ってたのに、貴明さんはさっさと教室から出て行っちゃったし」
 ちょっと拗ねたような口調で、いじけたように俯くと、ちらちらと俺を見てくる。
 本気で非難しているわけではないのが態度からもわかるのだが、だからこそ尚更その拗ねた振りをしている様子にドキドキさせられてしまう。
「でも草壁さんすごい人気だったじゃない。他の人たちはどうしたの? 俺、てっきり草壁さんはそっちで一緒にご飯食べてると思ってたんだけど」
「はい、誘ってもらったんですが、校内を散歩したいからって今日は遠慮させてもらいました」
 もちろん、散歩の目的地はここですよ、と付けたし、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「せっかく親切で誘ってくれたのに、ちょっとだけみんなに嘘付いちゃいましたね。本当は貴明さんとお話したくて探しにきちゃったんですから。……貴明さん、どうかしたんですか?」
「いや、ちょっと……」
 片手で顔を抑えて俯いている俺に、草壁さんは不思議そうに声をかけてくる。
 どうしたもこうしたも、そんなストレートに言われて照れない男はいないと思う。
 タマ姉なんかはそういう反応まで織り込み済みでそんなセリフをよく口にするが、草壁さんの場合は無自覚だから余計に照れる。
 照れ隠しに、ちょっとイジワルな返事をしてやる。
「草壁さん、意外と嘘つきだったんだなと思って」
「ふふ、知らないんですか? 女の子はみんな嘘つきなんですよ」
「そ、そうなんだ」
 だが草壁さんには堪えていない。
 平気な顔でしれっと軽く女性不信を促すような発言をする。
「はい。恋する女の子は嘘も許されちゃうんです。あっ、やだ、私ったら」
 自分で言ったセリフに照れてしまったのか、草壁さんはみるみる顔を赤らめると、自分の頬に両手をあてる。
 でも俺も負けず劣らず顔を赤くしているんじゃないだろうか。
「と、とりあえずお昼行こうか」
「あ、そうだね。私、実はお腹空いちゃって。ちょっと恥ずかしいな」
「今からだと学食はもう席がなさそうだし……購買でパンでも買って食べようか。まだマシなのが残ってるといいけど」
「貴明さんと一緒なら、きっと何でもおいしいと思うよ」
 またそういうことをさらりと言う。
 雄二とは別のベクトルでストレートだ。
 照れ笑いを浮かべ、じゃあ行こうかと口にしようとしたそのときだった。
「ふーん。『貴明さん』ねぇ」
「えっ!?」
 突然、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
 いや、でも今は屋上で食事中のはずじゃ……。
 そんなまさかと恐る恐る振り返ってみると。
「あなたも隅に置けないわね、タカ坊」
 その先には我らがお姉さま、向坂環ことタマ姉その人が立っていた。
「たっ、タマ姉、なんでここに」
「雄二に聞いたら飲み物を買いに行ったって言うから様子を見に来たのよ。タカ坊ったらちっとも来ないんだもの」
 そこまで言うと、タマ姉は俺の後ろにいる草壁さんに視線を移すと、作ったような笑顔を浮かべる。
「でも……まさかナンパ中だったなんてね」
 なんだかものすごい勘違いをしているのがよくわかった。
「違う、タマ姉は重大な思い違いをしてる」
「まったく、いつからこんな手の早い子になっちゃったのかしら。もしかして雄二に毒されてしまったのかしらね」
 はぁと溜め息をつきつつ、すっと手をあげ、目を細める。
 やばい、あれってだいぶ怒っている。
 ど、どうしよう、逃げた方がいいかもしれない。
「あの……貴明さんのお姉さんですか?」
 身の危険を感じていると、草壁さんがきょとんとした顔で尋ねてくる。
「あー、えーと、姉と言うか姉じゃないと言うか」
 厳密には姉ではないのだが、姉でないというには親しすぎるし。
 どう説明するのがいいか考えてしまう。
「あら、紹介してくれないの?」
「あ、うん。えっと、この人は……向坂雄二ってわかるかな、そいつのお姉さん。俺の幼馴染で、俺にとっても姉みたいな人なんだ」
「初めまして、向坂環です。うちのタカ坊がいつもお世話になってます」
「あ、草壁優季といいます。こちらこそ貴明さんにはいつもお世話になっています」
 優雅にお辞儀をするタマ姉につられ、草壁さんも深々と頭を下げる。
 どうでもいいけど二人して俺の名前を出して挨拶しあうのはちょっとやめて欲しいです。
「それよりもタカ坊、早く来なさい。雄二もこのみも待ちくたびれてるわよ」
「えっと、悪いんだけどタマ姉、今日はお昼は草壁さんと食べようと思ってるんだけど」
「あら、何で謝るの?」
「いや、お弁当無駄になっちゃうから」
「ならないわよ」
「へ?」
 タマ姉は不敵に笑い、俺の言葉をぴしゃりと否定する。
「みんなで食べればいいじゃない」
 あ、ダメだこれは。
 もうタマ姉の頭の中では草壁さんも一緒にお昼を食べることに決まっているらしい。
 なら何を言っても無駄だというのは、昔からの経験でイヤと言うほどわかっている。
「……草壁さん、お昼、俺の友達も一緒でいいかな」
「はい、もちろん」
 せめてもの救いは、草壁さんが嫌な顔一つせず快諾してくれたことだろう。
 こうして俺たちは三人連れ添って屋上へと向かうことなってしまった。

 

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